宇原海斗
宇原妃那
与えられた環境を飛び出し、自分で道を創る。違和感と挫折が教えてくれた、私たちらしい生き方
お二人がどんな学生時代を過ごされていたのか、ルーツについて教えていただけますか。
海斗さん:正直に言うと、大学生活自体にはあまり楽しいという記憶がありません。自分自身もそうでしたが、周りを見渡しても何かに熱中している人が少なかったんです。とりあえず単位を取って卒業して、どこかに就職すればいいかという風潮があって。そういうものに巻き込まれるのがすごく嫌で、「なんとなくレールに乗る」という空気に強い違和感を抱いていました。
周りの人たちがレールに乗っているのを見て、面白くないと感じていたのですね。その時はご自身で何かアクションを起こされたのですか。
海斗さん:普通は3年生や4年生になってから就職活動を始めると思うのですが、僕は大学2年の時からいろんな企業を見に行かせてもらいました。僕は昔から、日本の縦社会や小さなチームであっても、組織の中でうまく動ける人間ではないと自覚していたんです。だから在学中から自分で会社を立ち上げたりもしました。

ご自身で道を切り拓いてこられたのですね。幅広い分野を学ばれてきたとお聞きしました。
海斗さん:勉強自体は好きなんです。大学で経済学を学んで資本主義の仕組みが分かると、次は哲学や宗教、そこから地政学、社会学、心理学など、世の中の仕組みを幅広く勉強しました。そうすると、会社でも社会でも、5年後や10年後にどう動いていくかがかなり高い精度で予測できるようになったんです。ただ、見えていない周囲の人たちとうまく言語化して共有できなくて。コロナ禍の時もそうでしたが、「なんで事前に言わなかったんだ」「言っても伝わらない」というすれ違いをずっと繰り返していて、組織の中で浮いてしまう要因になっていました。今は、少しでもサポートできる範囲で言語化していく努力をしています。
妃那さんは、学生時代に情熱を注いだことはありましたか。
妃那さん:私は小学校の頃にタグラグビーをやっていて、全国大会を目指すようなスパルタな環境で育ちました。その後、走るのが好きだったので大学までずっと陸上部でした。陸上競技って、チームスポーツと違って自分のやったことが全て自分に返ってくるんです。いかに頑張ったかではなく、当日のタイムが結果の全て。そういうストイックさが身についたと思いますし、負けず嫌いな性格とも相性が良かったですね。
陸上を通して、ご自身で考えて実行する力が養われたのですね。
妃那さん:はい。ただ、順風満帆だったわけではありません。中学生の時に全国大会の切符を手にした直後、足を骨折してしまって。そこから中学3年まで完治せず、納得のいく走りが全然できないスランプに陥りました。「ああ、私にはあまり才能がないんだな」とどん底の気持ちを味わいました。でも、高校に入ってから自分で練習メニューを逆算して組んだり、自分の気持ちと体をコントロールする方法を突き詰めていったら、高校2年で心と体が一致して、一気にタイムが伸びたんです。その時の「やったらできるんだ」という成功体験が、今の私の大きな原動力になっていますね。

帰りたくないほど愛した草津のお湯。都会の喧騒と不調を手放し、自然の中で深呼吸する新たな人生
そんなお二人が草津に移住を決めたきっかけは、やはり温泉だったのでしょうか。
妃那さん:初めて海斗に旅行で草津に連れてきてもらった時に、「地蔵の湯」に入ったんです。それが本当に気持ち良くて、「この温泉に毎日浸かりたい!」と思ったのが最初の気持ちでした。湯冷めしないし、ただのお湯じゃなくて体の奥までじわーっと染み込んでくるような感覚に惚れ込んでしまって。帰りのバスの時間ギリギリまで足湯に浸かって、少しでも温泉を吸収しようとしていました(笑)。温泉に入れない日々に帰らなきゃいけないのが嫌すぎて、「家まで温泉のパイプを引けないかな」と本気で話していたくらいです。
海斗さんは、それ以前から定期的に草津を訪れていたのですか。
海斗さん:そうですね、10年くらい前から何年かに一度は旅行で来ていました。僕は元々肌が弱くて、他の温泉だと荒れてしまってダメだったのですが、草津温泉だとすごく調子が良くて、僕の肌に合っていたんです。

移住される直前は東京の世田谷にお住まいだったそうですが、東京を離れようと思った決定的な理由は何だったのですか。
海斗さん:とにかく夏の暑さが苦手だったんです。僕は松本出身なので、涼しい場所を求めていました。フルリモートで働けるようになったタイミングと重なったので、「ちょっと涼しい土地に行かないとダメかもしれない」と移住を決めました。それで引っ越そうかという話になって、僕から草津と札幌を候補として挙げたんです。
妃那さん:でも私は、彼が札幌も候補に挙げてくれていたことをあんまりちゃんと知らなくて(笑)。私の中ではもう「草津でしょ!」という感じだったんです。彼としては、いろんな土地にいくつか住んでみた方がいいかなというプランがあったみたいなんですけど。
海斗さん:そうですね、いくつか住んでみるのもいいかなと思っていたんですけど、草津に来て気づいたらもう4年目になっていました(笑)。
移住する前と後で、休日の過ごし方やライフスタイルに変化はありましたか。
海斗さん:行き先と選択肢が全く変わりましたね。東京にいた頃は、休日にブックカフェや本屋、美術館に行ったり、カフェで1日作業したりすることが多かったんです。でもこちらに来てからは、旅行や登山、スキーなど、自然を中心とした活動ばかりになりました。
草津という環境がそうさせたのでしょうか。
海斗さん:実は、草津に来てから山に登ろうと思っていたわけではないんです。移住してから知り合った人たちが、みんなひたすら山に登る「山派」の人たちばかりで。その人たちの情熱に、見事に巻き込まれたという感じです(笑)。誘われるままに夏山に行き、雪山に行き、スノーボードも始めて、気づけばすっかり自然派になっていました。
妃那さん:冬はスキー場のシーズン券を買って、仕事の合間に1〜2時間だけ滑りに行って、お風呂に入ってからまた仕事をする、みたいな生活も楽しんでいます。移住してからの趣味が本当に増えましたね。

思いやりから生まれた「赤い扉」。山菜が玄関に届く、昭和で温かな「でっかい家族」
お二人が立ち上げた「PORTA ROSSA」という名前には、どんな意味が込められているのですか。
妃那さん:イタリア語で「赤い扉」という意味です。決まるまでには紆余曲折があって、「港」や「エストラット(抽出)」など色々な候補がありました。でも、移住してきた人や草津が好きな人が「ただいま」と帰ってこられるような、「草津の玄関口」みたいな場所を作りたいという2人の共通の思いがあって。お互いに好きなものを出していったら、「イタリアが好き」「トマトが好き」という共通点が見つかり、最終的に「赤い扉」に落ち着きました。

メニューにあるプラントベースのお菓子を作り始めたのは、なぜだったのでしょうか。
妃那さん:草津でお店をやりたいと考えた時に、この町にないものを探したら、ヴィーガンやプラントベースのものが不足していることに気づいたんです。私たち自身も野菜が好きですし、アレルギーのあるお子さんでも心配せずに食べられるお菓子を提供できたらいいなと。それで、ヴィーガン菓子の先駆者の方のところへ伺い、2泊3日の合宿で朝から晩までみっちりと基礎を学んできました。その時に色々な糖分をテイスティングする「甘みの体験」をして、私たちが一番美味しいと感じたアガベシロップを使っています。

デカフェコーヒーにも強いこだわりをお持ちだとお聞きしました。
妃那さん:実は、私が体調を崩したのをきっかけに、カフェインを受け付けなくなってしまったんです。元々コーヒーを飲むのは好きだったのに、カフェに行ってもデカフェの種類が全くなくて、悲しい思いをしていて。
海斗さん:コーヒーをデカフェにするのって、すごく難しくてコストもかかるんです。主な製法が3つあるのですが、薬品を使うと風味が飛んでしまって、有名店のデカフェでも麦茶みたいになってしまうことが多くて。だからこそ、本当に美味しいデカフェ豆を一生懸命探して、それを使ってコーヒーゼリーやアイスコーヒーを作っています。

移住されてから、草津の町や人々との関わりの中で感じる魅力はありますか。
妃那さん:「でっかい家族」みたいな安心感がありますね。顔見知りが増えて、町を歩いていると必ず誰かしらに会って「最近元気?」「次いつ山に登る?」と立ち話をするんです。外から来た人間だからと壁を作られることもなく、どんな人でも受け入れてくれる雰囲気があります。予想もしていなかったくらい、そのままの自分でフラットに接することができる繋がりがたくさんできました。
海斗さん:草津の人たちは、良くも悪くも「昭和」の気質が残っているんです。昔ながらの地域関係や共同体が生きていて、「山菜採りすぎたから玄関に置いておくね」とか、「ブリもらったから食べる?」とか、東京じゃあり得ないような近所付き合いがあります。僕はこれまで人口の多い場所ばかりに住んでいたので、地域コミュニティに所属している感覚がなかったのですが、6000人のこの町に来て、自分もその中の一員なんだという帰属意識が芽生えました。程よい距離感で、温かい関係性を心地よく楽しんでいます。
「あの人に会いたい」と通う店へ。絵本とお菓子が創る、未来の草津と物語
PORTA ROSSAの活動において、絵本も大切な要素になっていますね。
妃那さん:将来的にブックカフェをやりたいという夢があるんです。本のある空間で美味しいコーヒーとお菓子を提供するのが、私たちの中での一つの完成形です。絵本って子どものためだけでなく、大人が読んでもすごく面白いし、抽象度が高くて奥深いんですよ。私が好きな「おくりものはナンニモナイ」や、海斗が好きな「ことりをすきになった山」など、私たちが心を動かされた絵本をいろんな人と共有したいという思いがあります。

今後の目標や、5年後に叶えたい野望を教えていただけますか。
海斗さん:草津に「物語性を持ったお店」を増やし続けられたらいいなと思っています。このご飯が食べたいから行くというチェーン店的な考えではなく、「あの店主の〇〇さんと喋りたいから、ついでにご飯を食べる」というようなお店です。これからAIがインフラ化して省人化が進むと、意識的に「何を残すか」が勝負になる。草津にはキャラクターの濃い店主がたくさんいるので、僕たちも「また会いたい人」が集まる場所になりたいですし、そういう個性の強いお店が草津に増えれば、運営する人自身も楽しく生きられますし、結果として草津の町全体がさらに面白く、魅力的な場所になっていくんじゃないかと期待しています。
妃那さん:私も同じです。自分たちが居心地が良くて、草津に来る人たちにとっても居心地の良い「場所」を作りたい。草津が好きで、ここで何かを始めたいという意欲のある人たちが集まる複合施設のような空間を持てたらいいなと思っています。
最後に、これから草津に関わる人たちや、移住を考えている人たちに伝えたいことはありますか。
妃那さん:何かを教えてあげるというよりは、ただ純粋に「楽しいよ」と伝えたいです。ここに住んですごく楽しくて、来る前よりも絶対に人生が豊かになっているという実感があります。趣味も増えたし、楽に話せる人もいっぱいできた。私たちが楽しそうに過ごしている姿を見てもらって、「あ、いいな」と勝手に羨ましがって来てもらえるような流れができたら、それが最高ですね。

編集後記
都会の喧騒と組織の波から離れ、草津の力強いお湯に導かれるようにやってきた宇原さんご夫婦。アレルギーへの配慮から生まれたプラントベースのお菓子も、相手の体調を想うことから生まれた美味しいデカフェも、すべては身近な人への「優しさ」から始まっていた。 昭和の香りが残るご近所付き合いを「でっかい家族」と笑い飛ばし、自らもその輪の中で軽やかに生きる二人の姿は、これからの地方移住のひとつの理想形かもしれない。いつかこの町に開かれる「赤い扉」が、多くの人にとっての心地よい帰る場所になる日が、今から楽しみでならない。