笠原好男
笠原明子
スプリングハンマーの響きと、華やかなホテルでの日々

あきこさんは、鍛冶屋の家に生まれ育ったということですが、子供の頃はどのような日常だったのでしょうか。
あきこ:もう朝からスプリングハンマーの音が「ガンガンガンガン」と鳴る家で育ちました。昔は工場と住まいと店舗が同じ一つの屋根の下にあったような形だったので、家全体に音が響くし、常に振動しているような感じでしたね。
よしお:昔の鍛冶屋のイメージだと、一人が刀みたいなものを持って、もう一人が大きなハンマーで叩くような姿を想像するかもしれませんが、うちではずっと前からスプリングハンマーを使っています。足で踏むと上からドンッドンッと落ちてきて、荒打ちをして大体の形を作っていくんです。
音だけでなく、においや風景などで記憶に残っているものはありますか。お父様の職人としての姿はいかがでしたか。
あきこ:油の匂いが常にしましたね。父はとにかく頑固で、めちゃくちゃ怖かったです。もう仕事一本で、いつも油まみれで汗臭くて。朝早くから夕方遅くまでずっと仕事をしていて、終わったら一杯飲んですぐに寝てしまう。そんな父の背中を見て育ちました。怒ると本当に厳しかったですが、根はすごく優しくていいお父さんでしたよ。
よしお:火を使って焼き入れをする時に、油や水で「ジュッ」としたり、機械に油を差したりするので、油の匂い、鉄の匂い、そして火のちょっと焦げたような匂いが、今でも工房には染み付いていますね。
よしおさんは高崎のご出身とのことですが、どのような道を歩まれてきたのでしょうか。
よしお:私は一人っ子で、甘やかされていると言われるのが嫌で、母親からは厳しく育てられました。でも勉強よりは遊びが好きで、缶蹴りやボール蹴りをしてよく遊んでいましたね。高校を卒業してからは、高崎駅のすぐ近くにあるホテルメトロポリタン高崎で、一期生として18年ほどホテルマンをしていました。
ホテルでの接客業は、よしおさんのご気質に合っていたのでしょうか。
よしお:周りからも「接客業に向いているよね」とは言われていましたし、やればやるほどたくさんのお客様と巡り会えるのが楽しくて、すっかりのめり込んでいきました。一番長かったのは結婚式のバンケット(宴会)担当です。新郎新婦を先導したり、「ケーキ入刀でございます」と進行したり。私たちにとっては年に何百組という中の一組でも、お客様にとっては一生に一回の舞台ですよね。だからこそ、無事に終えたときにご挨拶ですごく喜んでいただけると、接客って本当に奥が深くて素晴らしい仕事だと実感していました。レストランサービス技能検定の1級という国家資格も取得して、自分の中ではすごく誇りを持って取り組んでいました。
「未練はたらたらでした」。それでも選んだ職人への道

お二人ともホテルでお勤めだったそうですが、そこから鍛冶屋の家業を継ぐことになったのは、どのような経緯だったのでしょうか。
あきこ:私もホテルに一旦就職をして、そこで夫と出会いました。元々の鍛冶屋は女二人姉妹で、跡を継ぐ男がいなかったんです。結婚するので私が先に会社を辞めて、両親が大変そうだったので少しずつ工場の仕事を手伝い始めました。最初は事務だけのつもりだったんですが、自分がまさか真っ黒になって工場の仕事までするとは思っていませんでした。
ご自身が現場に出るようになり、気持ちに変化はありましたか。
あきこ:手伝っているうちに、だんだんとこの仕事の価値というか、「この技術をなくしちゃもったいないな」という気持ちが自分の中に湧き起こってきたんです。父も最初は「継がなくていいよ」と言っていたんですが、だんだんともったいなくなってきたのか、「結婚するんなら継がなきゃダメだよ」「結婚したいなら継いでくれ」という雰囲気になってきて(笑)。小さい頃から仕事の過酷さは見てわかっていたので、覚悟して継いだんですけど、やはりめちゃくちゃ大変です。
華やかな接客業から、油まみれの職人の世界へ。よしおさんの中では、相当な葛藤や迷いがあったのではないでしょうか。
よしお:いや、もちろん葛藤はありましたし、せっかくホテルマンの1級資格も取ったばかりでしたから、当時の気持ちを正直に言えば「未練はたらたら」でした。前職から引っ張られる形で継ぐことになり、不安がなかったと言えば嘘になります。
あきこ:私としても、継いでくれたことはすごく嬉しかったですけど、彼の中にホテルへの未練がすごくあるんだろうなっていうのは、横で見ていてめちゃくちゃ感じていました。ホテルの話をよくしていましたし、今でもしていますからね(笑)。
未練もあった中で、振り返ってみて「あの時の決断は正解だった」と思えるのはどんな瞬間ですか。
よしお:ホテルの時は料理や飲み物を提供していましたが、鍛冶屋のモノづくりは、自分たちで一から丹精込めて作ったものがお客様の手に渡る仕事です。「包丁がすごくよく切れたんで嬉しかったわ」と直接言葉をいただけるのが、普段の仕事の何よりのモチベーションアップに繋がっています。一から十まで携わって、お客様が使って喜んでくれた時というのは、接客で味わった嬉しさと同じ感動が込み上げてくるんです。だから、この道に進んできたことは間違いではなかったなと、今は心から感じています。
魂を叩き込む「一生もん」。接客の心と職人技が交差する場所

一つの道具が完成するまでには、膨大な手間がかかっていると伺いました。どのような工程を経て作られるのでしょうか。
よしお:今は昔に比べて材料こそ扱いやすくなりましたが、それでも手作業の工程はたくさんあります。圧延された鋼を寸法に切り、真っ赤に熱してハンマーで叩く「鍛造」から始まり、グラインダーで形を整える「成形」をします。大きな工場ならプレス機でガシャンと大量生産できますが、うちはすべて手作りなので、10丁の包丁を作っても同じものは二つとありません。すべてが一点ものなんです。
その後の「焼き入れ」の作業も、非常に奥深いそうですね。
よしお:成形が終わると、炉を800度以上に熱して「焼き入れ」を行います。真っ赤になった鋼を、水で「ジュッ」と急冷させるか、油で緩やかに冷ますか。鋼の性質や持たせたい粘りによって水と油を使い分けます。ただ、それで終わりじゃなくて、今度は180度の熱風の中で1時間ほど「焼き戻し」や「焼きなまし」をするんです。そうしないと、硬くはなっても刃が脆くなってしまうんですね。
熱を加えて、さらに戻す。本当に繊細な作業の連続ですね。
よしお:そうなんです。しかも、焼き戻しをすると、包丁が蛇のように「S字」にグニュって曲がって出てきたりするんです。それを180度のところでハンマーでコンコンと叩いて、目で見ながら真っすぐにしていく「狂い取り」「歪み取り」をします。そこからさらに、粗い砥石と仕上げの砥石で「刃付け」をして、磨き仕上げをして、柄をつけて、ようやく完成です。当時に比べて工程が少なくなったとはいえ、今でも7、8工程は必ず踏まなければなりません。
ホームページに掲げられている「一生もんの道具」という言葉には、そのような並々ならぬ手間と職人の誇りが込められているのですね。
よしお:量販店やホームセンターで売られている大量生産品や、海の向こうから入ってくるものとは違って、私たちの道具には魂と丹精が込められています。手作りの道具というのは、本当に研いで研いで、鋼がなくなるまで長く使えるんです。「もう20年使ってるのよ」とか、「おじいちゃんの代から使ってるクワなんですよ」と言って研ぎ直しにお持ちくださるお客様に出会うと、2代、3代と使い続けてもらえるんだと感動します。使い捨てじゃない、本当に長く使えるという思いを込めて、「一生もん」という言葉を掲げています。

普段は寡黙な工房での作業が続きますが、イベントやマルシェへの出店も積極的に行われているそうですね。
よしお:そうですね。普段の工場では踏み切りでトンカントンカンと鉄を打ち、喋りながらではなく寡黙に仕事をしなければなりません。だからこそ、週末に出先のイベントでいろいろなお客様とお会いして、お話しできるのが本当に楽しみなんです。
あきこ:いろんな人と巡り会えるのが、私たち二人のストレス発散にもなっています。接客の楽しさは、ホテルの頃からずっと変わらず大切にしている部分ですね。
湯けむりの向こうに広がる、伝統の継承と新たな出会い
ご子息が4代目として家業を継がれることが決まったと伺いました。その時のお気持ちはいかがでしたか。
あきこ:めちゃくちゃ嬉しかったです。息子は調理師の免許を取って、東京のホテルに就職していたんです。でも、幕張メッセでの大きなイベントの時に、手が足りなくて無理を言って手伝ってもらったことがあって。最初は嫌々だったと思うんですが、そこで彼も「この鍛冶屋の仕事や技術、伝統をなくしちゃうのはもったいない」と感じてくれたみたいで。「仕事を辞めて工場に入る」と言ってくれた時は、本当に感激しました。
よしお:自分たちの代でなくなってしまうのがもったいないと、自分から言ってくれたのは嬉しかったですね。鍛冶屋は全国的に見ても後継者不足でどんどん廃業していますから。今は隣の工場で一緒に作業をしていますが、私が元気でいられるあと10年くらいの間に、ノウハウやいろはをすべて教え込みたいと思っています。できれば早く良い伴侶を見つけて、夫婦二人でぼちぼちとやっていってほしいですね。
あきこさんは、今後どのような工房にしていきたいという展望をお持ちですか。
あきこ:父が残してくれたものを大切に引き継ぎつつ、時代に合った新しいこともどんどん取り入れていきたいです。うちの品物を気に入ってくれたお客様が、「あの人に紹介したよ」「プレゼントしたい」と、人づてに新しい輪を広げていってくれるような、そんな仕事をこれからも続けていきたいですね。
6月6日には、草津温泉で開催されるマルシェに出店されます。草津ならではの環境や、そこでの出会いについてどのような期待がありますか。
よしお:草津という土地は、地元の方だけでなく、全国から多くの観光客が訪れる特別な場所ですよね。工房にこもって鉄を打つ日常から離れて、湯路広場という湯畑のすぐ隣で、硫黄の匂いを感じながらお店を出せるなんて、とてもワクワクしています。草津ならではの温泉の風情の中で、私たちの作った「一生もん」の道具に触れてもらい、いろんな新しい出会いが生まれればいいなと思っています。
あきこ:鉄の道具は重いので、観光客の方をかき分けながらの搬入は少し不安もありますが(笑)、そこを乗り越えてでも行く価値があると思っています。
よしお:場所が決まれば、あとはもう可能な限り、一生懸命いろんなお客様と接客応対をするだけです。草津の湯けむりの中で、ホテルマン時代から変わらない「接客の心」で、一人でも多くの方に手仕事の温かみをお伝えできたら嬉しいですね。
編集後記
重厚なスプリングハンマーの音が響く群馬県安中市の工房。そこから生み出される道具には、鉄を打つ職人の揺るぎない矜持と、ホテルのバンケットで培われた洗練されたホスピタリティが同居している。言葉の端々からあふれるように伝わってきたのは、笠原さんご夫婦の温かな笑顔とお人柄だった。「未練はたらたらでした」と笑いながらも、ホテルマンとしての誇りを胸に秘め、職人として確かな歩みを進めてきた好男さん。そして「もったいない」という一心で、家族の絆と伝統を守り抜いた明子さん。二人の人生が幾重にも重なり合って生み出される道具には、決して大量生産品には真似できない「魂」が宿っている。その手から生み出される「一生もん」の道具は、使う人の人生にもそっと寄り添い、確かな温もりを与えてくれるはずだ。