飯塚 俊太朗
歴史と自然が交差する町。静かな少年の心に刻まれた「地域の地層」
ご出身はずっと群馬県の渋川市なのですか?子供の頃はどんなお子さんだったのでしょう。
飯塚:はい、出身は渋川市で、今も実家から通っています。子供の頃は、とても控えめな性格でした。今でこそこうやってきちんとお話しさせていただいていますが、昔はこういう場でまともにお喋りできないくらいで。小さい頃からずっとそんな感じだったんです。

お友達の中で「積極的に遊ぼうぜ」と引っ張っていくようなタイプではなかったのですね。
飯塚:そうですね。基本的には誘われる側でしたし、それは今もあまり変わっていないかもしれません。子供の頃の記憶はあまり多くないのですが、家で友達と遊ぶ時はゲームばかりしていました。ちょうどそういう世代でしたから、小さい頃からニンテンドーDSがあって、そこでYouTubeのゲーム実況や、いわゆる企画系のYouTuberの動画をよく見て過ごしていました。
中学、高校も地元周辺で過ごされたのですか?
飯塚:地元の小学校からそのまま地元の中学校に進みました。高校は前橋の方にある学校に通っていました。
草津や渋川というと、外から来る人間にとっては「温泉の町」というイメージが強いのですが、飯塚さんご自身にとって、地元である渋川市はどのような環境でしたか。
飯塚:やはり「歴史」という言葉が一番に出てきますね。歴史に触れることが非常に多いエリアに住んでいました。私が住んでいるのは「白井」という地域なのですが、そこは元々、白井城の長尾さんというお殿様が住んでいた場所で、宿場町のような名残があるんです。今も街並みや道づくりに少し古い雰囲気が残っていて、井戸があったりもします。
生活のすぐそばに、昔の面影が残っているのですね。
飯塚:ええ。それに、私が通っていた子持中学校の下には、「黒井峰遺跡」という遺跡が埋まっているんです。中学校が遺跡の上に建っているので、小学校の時に白井宿の学習をしたように、中学校でも遺跡に関する学習をしました。ただ、中学校が指定文化財の遺跡の上に建っているせいで、勝手に改修工事ができないんですよ(笑)。本当にボロボロの校舎が建っていて、エアコンも私が中学を卒業するくらいの時期にようやく入ったくらいでした。何か手を入れるにしても慎重にならざるを得ない、本当にそういう歴史的な場所に住んでいました。

すぐそばには川も流れていますよね。
飯塚:そうですね。利根川があって、そこに吾妻川が合流しています。そういった歴史や自然の重なりというものは、群馬県民にとっては結構普通のことなのかもしれません。みどり市にも古墳や遺跡があったり、高崎にも古墳がいっぱいあったりしますから。エリアが変われば、また違うそのエリアの歴史が見えてきます。かつて栄えた富岡製糸場もそうですし、私たちが作っている「湯あみ着」の開発に関わってくださった会社がある伊勢崎も、レースが盛んだったり、「銘仙」という独特の織物があったりします。桐生にも桐生織がありますし、それぞれに歴史的な背景があるんです。
群馬という土地が持つ「温泉」という資源と、「織物やものづくりの歴史」。飯塚さんたちが取り組んでいる湯あみ着の開発は、まさにこの土地の歴史的な繋がりの中から生まれてきたもののように感じます。
飯塚:そうですね。温泉という文化と、地域の製品化の歴史がうまく繋がっていると感じています。
「出会ってしまった」という使命。授業から始まった誰もが温泉を楽しめる未来づくり

改めて、現在活動されている「湯あみ着」についてご紹介いただけますか。これは誰のための、どのようなものなのでしょうか。
飯塚:「湯あみ着」というのは、簡単に言うと「着たまま温泉に入るための衣類」です。一番のターゲットは、乳がんなどの手術で体に大きな傷ができてしまった方々です。そうした傷を隠すために着て入るものです。また、草津温泉の西の河原露天風呂にある混浴の時間帯や、宝川温泉のようなすべてが混浴になっている場所で着用したりもします。「隠して入る必要がある時」に、体を隠したままお風呂に入るためのものが湯あみ着です。
その「湯あみ着」の活動に至った経緯を教えてください。
飯塚:私が通っている共愛学園前橋国際大学で、「バーチャルカンパニー」という授業があったことがきっかけです。この授業のコンセプトが、「地域の人と協働して、社会問題を解決するような売れる商品を開発しよう」というものでした。私が所属している国際社会学部は、そうした地域社会と関わる授業が比較的多い環境なんです。私は1年次と2年次に履修しました。
授業の一環から、実際の県の事業に関わることになったのですね。
飯塚:はい。そこで一昨年の2023年度にあった群馬県の「サウナ・スパ関連商品等開発支援事業」というものに参加させていただきました。地域の製造業の企業さんとチームを組み、「自分たちにできる社会課題の解決は何だろう」と調べ、話し合った時に、「温泉に入りたくても入れない人がいる」という課題に気がついたんです。そこから湯あみ着の開発が始まりました。

最初はどのような方に向けたものだったのでしょうか。
飯塚:作り始めた当初は、アトピーなど肌に悩みを持つ方向けに作っていました。でも、活動を続ける中でいろいろな繋がりが生まれまして。乳がん患者である藤井佳津枝さんという方と出会ったんです。その方は実際に乳がんで湯あみ着を使い、それを広める活動をされていました。その方と協働して1年間活動を続ける中で、視野がどんどん広がっていきました。
乳がんの方だけでなく、さらにターゲットが広がっていったのですか?
飯塚:そうです。乳がんの方だけでなく、外国人の方や、宗教的な理由で肌を露出できない方、ジェンダーの問題を抱えている方、あるいは単純に「裸になるのが恥ずかしい」という方も必要としているのではないかと考えるようになりました。ですので、今はターゲットを限定せず、「誰もが着られて、平等に温泉に入れるように」ということを目指して活動しています。
大学の授業からスタートしたプロジェクトですが、現在は学生団体として活動されているのですよね。
飯塚:はい。最初は授業のチームだったのですが、授業の枠組みから離れて「燈(とぼし)」という学生団体を立ち上げました。元々の群馬県の事業だったチームのプロジェクトとして、私たち学生が主体となりつつ、企業の皆さんやレース屋さん、構成をしてくださる方、マーケターとして仕掛けを作ってくれる方、そして先ほどお話しした乳がん患者の方などが協働するプロジェクトチームとして活動を続けています。


飯塚さんご自身が中心となって、いろいろな方を巻き込んでいったのですね。
飯塚:そうですね、プロジェクトを作ったのは私なので。学生のメンバーは、今は私を含めて6人です。最初に同じ授業を取っていた後輩や、その友達。それから、活動を知って自ら入りたいと言ってくれた人や、私たちが開いた説明会で共感してくれた人などが入ってくれました。
「隠す」から「魅せる」へ。試行錯誤を重ねて生まれた、お洒落で機能的な新しい湯あみ着

現在、学生団体「燈」としては、どのような活動をメインに行っているのですか?
飯塚:商品開発ももちろんやっていますが、メインはさまざまな人に湯あみ着を広めたり、温泉施設に対して「こういうものなんですよ」と説明していくことです。マルシェに出たり、自分たちでイベントを主催したりもします。イベントをやる時は、施設側や利用者の方に身近に感じてもらうのはもちろんですが、施設側への「教育」というか、正しい使い方を知ってもらうことも重要な目的として捉えています。
湯あみ着そのものの商品開発についても詳しく教えてください。機能面でかなり工夫されているとお聞きしました。
飯塚:そうですね、見た目だけでなく機能面には非常にこだわっています。例えば、一番最初に作ったプロトタイプは、肩の部分をリボンで留める形にしていました。なぜかというと、濡れた衣類を脱ぐのって体に張り付いてしまってすごく大変なんです。でも、肩のリボンをほどけば「ストン」と簡単に脱げるようにしたんです。

なるほど!着たまま体を洗うこともできるのですか?
飯塚:はい、前後左右にスリットが入っていて、着たままでも手を入れて洗えるようになっています。さらに、生地にはあえて「透ける生地」を使っているんです。石鹸で体を洗った後、最後にしっかりと洗い流さないといけないのですが、保水力がある生地だと石鹸が残ってしまいます。水はけを良くしてしっかり落とし切るために、透ける生地を選びました。
でも、隠すためのものなのに透けてしまっては本末転倒ですよね?
飯塚:おっしゃる通りです。単体だと透けてしまうので、2枚重ねにすることで透けないように工夫しています。2枚重ねることで生地同士がくっついて、体に張り付きにくくなるというメリットもあります。さらに、水に入っても空気がうまく抜けるので、お湯の中で生地が浮いてこないようになっています。

機能的な工夫が幾重にも重なっているのですね。生地の素材にもこだわりがあるのでしょうか。
飯塚:生地を作る会社さんと組んでいることもあり、素材にはこだわっています。ポリエステルと綿を組み合わせていて、綿がある程度水を含んでくれないと脱ぎにくかったり、お湯の中でフワッと浮きすぎてしまったりするんです。通気性や吸水性、そして水や温泉成分との相性も考えながら、試行錯誤して作っています。
デザインも、従来の湯あみ着のイメージとは違ってとてもお洒落ですよね。
飯塚:ありがとうございます。従来の湯あみ着は、とにかく「隠す」ことを目的とした地味なものが多く、全くお洒落ではありませんでした。それに疑問を抱いて、「隠すんじゃなくて、見せてやろう」というお洒落さを求めた結果が今の形です。

初期のプロトタイプから、当事者の方の意見を取り入れてさらに進化しているのですよね。
飯塚:はい、プロトタイプを実際に乳がん患者の藤田さんに着ていただいて、意見を出し合いながら話し合って改良を重ねました。洗いやすくするために腕を通す部分を広くしたり、最新版では肩のリボンをサイドのボタンに変更して、よりさっと脱げるようにしたりしています。そして実は、まだ公開していない新しいバージョンもあるんです。
新しいバージョンはどのような工夫がされているのですか?
飯塚:コストを抑えるために、使う生地を1種類にして、1枚の布を広げるようなフォルムにしています。作務衣や浴衣のような、馴染み深いデザインですね。紐を外せば普通にバラけるので洗いやすいですし、前面は布が重なって2重になるので見えにくくなっています。
なぜコストを抑える形にシフトしたのでしょうか。
飯塚:やはり、施設に導入してもらうためには、安くて大量に作りやすい「貸し出し用」のモデルが不可欠だと考えているからです。市場には500円程度の不織布のものから様々な湯あみ着がありますが、私たちは最終的に6000円くらいで、施設側が扱いやすいものを目指して試行錯誤を続けています。
「なくせる不平等ならなくしたい」。湯あみ着が「当たり前」になる景色を描いて
現在、商品の販売や普及に向けての手応えはいかがですか。
飯塚:正直に言うと、まだ本格的な販売というよりは「準備段階」といったところです。一番新しいモデルもまだ準備中で、これをすぐに売ろうというよりは、まずは広めて「当たり前」にしないと、そもそも必要とされないんです。今はまだ、湯あみ着を着て入れる施設が圧倒的に少ないですから。
「知らないから買おうとならない」し、「使える場所がないから買っても意味がない」という状況なのですね。
飯塚:その通りです。家のお風呂で使うものではないですからね。使える環境が整ってから、商品販売としてスタートするのが筋だと思っています。だからこそ、今はその環境を整えるための活動を優先しています。
実際に温泉施設の方々の理解を得るのは難しいですか?
飯塚:場所によりますね。温泉のルールとして「ダメ」と言われれば、当然入れません。施設側が断る理由としては、やはりお客さん同士のトラブル回避という側面が大きいんです。「なんであの人は服を着て入っているんですか?」と他のお客さんから言われた時に、対応が厄介になってしまう。また、「ちゃんと洗い流せているのか」という衛生面での心配や、「温泉の成分が変わってしまう」と気にする神経質な方もいらっしゃいます。
施設側にも守るべきルールや他のお客さんへの配慮があるわけですね。
飯塚:そうなんです。だからこそ、イベントなどではマネキンを用意して展示し、施設の方々に「こういうもので、衛生面でも問題ないんですよ」と知ってもらうことが大切なんです。厚生労働省からも「衛生的に問題ないですよ」と提示できるポスターなどが出ているのですが、まだまだ周知が足りていません。施設側の事情やエリアごとの悩みをもっとちゃんとヒアリングして、理解を深めていく必要があると感じています。

そうした壁や難しさがある中でも、飯塚さんがこの活動を続けていく原動力は何なのでしょうか。
飯塚:やはり、群馬県に住んでいるからこそ、温泉が最大の強みだと感じています。温泉県なのに、それを楽しむ機会が平等ではないという現実がある。それを変えたいというか、その事実に出会ってしまった以上、私がやるしかないと思っています。他に取り組んでいる人もあまりいませんしね。「なくせる不平等なら、なくしていきたい」という思いです。少し大げさかもしれませんが、「使命を与えられた」ような気持ちで、使命感を持ってやっています。
最後に、この活動を通じて、飯塚さんが作りたい未来の景色を教えてください。
飯塚:平等に温泉を楽しめていなかった人たちが、当たり前のように温泉を楽しめるようになること。それに尽きます。「湯あみ着」はそのための手段です。体を隠したいと思う人たちにしっかりアプローチして、温浴施設のダイバーシティ化を進めていきたいです。誰もが気兼ねなく、同じようにお湯に浸かって笑顔になれる。そんな世の中を作っていきたいと思っています。
編集後記
インタビューを通じて感じたのは、飯塚さんの静かな、しかし確かな情熱です。言葉の端々から伝わってくるのは、自らが暮らす群馬という土地への深い愛着と、「温泉」という地域の宝を誰もが等しく享受できる社会にしたいという揺るぎない使命感でした。「出会ってしまったからには、やるしかない」。学生という立場から地域社会の課題に挑み続けるその控えめな語り口の奥にある強さが、少しずつ、しかし確実に周囲を巻き込み、温泉の新しい当たり前を作っていくはずです。湯あみ着が特別なものではなく、誰もが当たり前に使える風景。その日が訪れるのは、そう遠い未来ではないのかもしれません。