香坂正枝
「若干、雑です(笑)」。昭和の気さくな町と、山歩きが教えてくれた自分の小ささ
子供の頃はどんなお子さんでしたか?
香坂:子供の頃は、ものづくりをすごくするのが好きな子でしたね。小さい頃の折り紙や塗り絵から始まり、手芸をやったり編み物をやったり。母が縫製の仕事をしていたので、小学生の頃から教えてもらって自分で洋服を作っていたりもしました。高校生になってからは曲を作ったりもして、進学もクリエイティブな道がいいと思い、デザインの学校に通いました。とにかく、ずっと何かを作るということをしているような子供でした。
ご家族もものづくりをされる環境だったのでしょうか?
香坂:両親も物づくりが好きで、叔父は趣味で家を自分で建ててしまうような人でしたし、父も設計をやっていました。周りにそういう環境が自然とあったのが大きかったと思います。教わる大人がそういう仕事に携わっていたので、きちんと教えてもらえる環境でした。
ご出身である群馬県太田市の東毛地区は、どのような気質の人が多い地域だったのでしょうか?
香坂:そうですね……若干、雑です(笑)。気取らないというか、昔の田舎の良さがそのまま残っているような場所でした。人の家に「こんちはー!」って言って上がっていって、「おいちゃんいるー?」みたいな感じで。なぜか私が他人の家でお昼ご飯を食べているのが普通だったり、逆に友達が来たら「じゃあご飯食べてけよ」って家族の中で友達がご飯を食べて帰るとか。
なかなか賑やかで温かい環境ですね。
香坂:当時は大家族が一般的だったので、大人たちはいそがしいんですよね。蚕をやっている農家さんも残っていて、私たちが遊んでいるのに「手伝いなー!」「早くやってー!」って駆り出されて。蚕の世話をしなければいけない時間には友達と一緒に手伝って、終わったらまた遊ぶ、みたいな感じでした。何かあればみんなで駆け寄って「どうした?」と助け合うような、敷居が低くて気さくな、昭和のゴリゴリのコミュニティがずっと続いているような地域で育ちました。
自然との繋がりを意識するようになったのは、いつ頃からですか?
香坂:自分が「人間ではなく自然の一部なんだ」と深く自覚したのは、実は20歳を過ぎた頃です。東京のデザイン学校に行っていたのですが、ちょうどバブルが弾けた時期で就職先が見つからず、田舎に帰ってきていました。その時に、先に山登りを始めていた母に誘われて山に登ったんです。
初めての山登りはいかがでしたか?
香坂:人間の体一つで登って、疲れても帰りは自分で降りてこなければならない。その時に自然の厳しさと、自分の甘さを痛感しました。現代社会の便利なものを効率よく使っているつもりでも、自然の中ではそんなものは微々たるもので、全然価値がないじゃないかと。自分の体で行って帰ってくるということが、最初はすごく苦しかったんです。
苦しさを感じてから、どのように変化していったのでしょうか?
香坂:登れなくて「ああ、私は人生も一人で自分の足で歩いていかなきゃいけないんだ」と気づいたことがきっかけで、どんどん山登りにはまっていきました。登った後の達成感や、体が健康になっていく喜びが大きかったですね。今では、ただ山に登るというより、虫から草から石から、全部を楽しんでいます。石でハートの形を見つけながら登ったりして、自然の中で体が喜ぶのを感じるのが楽しいんです。
子育ての壁とヨガの教え。そして匂いを克服して虜になった、東の横綱・草津の湯
ヨガとはどのようなきっかけで出会ったのでしょうか?
香坂:子育てで壁にぶつかっていた時でした。どうしてこんなに上手くいかないんだろう、どうしてこんなに苦しいんだろうって悩んでいて。その時に一般的な自己啓発の本を読んでみたんです。そこには「脳を休ませるには瞑想が一番いい」と書いてありました。
そこからどのようにヨガへ結びついたのですか?
香坂:「瞑想も気になるけど、ヨガも気になるな」と思っていたところ、たまたま友人をランチに誘ったら「今、ヨガの帰りで街に出てるんだ」と言われたんです。「ちょっとその話を聞かせて!」と飛んで行きました。友人は「少し宗教っぽいと思われるかもしれないから誰にも言ってなかったんだけど、私の大好きな先生のクラスなら、きっと気に入ると思うよ」と勧めてくれて、体験に行ったんです。
実際に体験してみて、どう感じましたか?
香坂:その時に、執着を手放すこと、呼吸を整えること、そして思考を一度空っぽにすることを、瞑想の誘導から教わりました。それが自分の中にすごくフィットしたんです。今自分が抱えている不安や不満を、その時間だけ全部手放してみたら、すごく心が軽くなりました。
ヨガを通じて、どのようにご自身の内面と向き合っていかれたのですか?
香坂:ヨガを通じて「マインドフルネス」という言葉に出会いました。過去の失敗への後悔や未来の不安で頭がいっぱいになっている時は、今を生きていないわけです。「これから起こるかもしれないことも、まだ起こっていないのだから考えない。今起こっていることだけが全てだ」と。
日常生活の中で、その考え方はどのように活かされましたか?
香坂:例えば、子供が不登校になった時期もあったのですが、将来の彼を見ると不安になるけれど、今の彼を見て「本人が行けないと言うなら、行かなくていいじゃん」と受け入れられるようになりました。
ご自身への影響はいかがでしたか?
香坂:ヨガとアーユルヴェーダ(自然療法)は表裏一体で、土に触れることでのグラウンディングや、自分が「エネルギー体」であることにも気づかされました。私が笑えば周りも笑うし、私が落ち込めば周りも落ち込む。自然の中にいるとどんどん癒されて、他人が私に被せてきたいろんな役割が取り外され、本当に楽しかったあの頃の「素の自分」に戻っていける感覚がありました。
草津温泉との初めての出会いは、どのようなものでしたか?
香坂:小学5年生の時に家族や親戚みんなで行ったのですが、湯畑の匂いがもう本当にダメで。どこに行っても普通の空気が吸えなくて、宿に入っても温泉だから苦しくて、完全にノックダウンでした(笑)。高校卒業後に友達と草津へスキーに行った時も、山頂に上がってくると匂いがして「くさい、やばい!」と急いで降りたくらい、20歳くらいまではトラウマでした。
最初は匂いが苦手だったとのことですが、今のように惹かれるようになったきっかけは何だったのでしょうか?
香坂:群馬には温泉がたくさんあるのですが、ある温泉施設に「温泉の番付表」が貼ってあったんです。お相撲さんの番付みたいな感じで。それを見ると、草津温泉が東の横綱でずっと1位なんですよ。「そんなに草津ってすごいんだ。じゃあ、もう一回だけ行ってみて、ダメだったら帰ってこよう」と決心して行ってみたら……大丈夫だったんです!
実際に久しぶりに入ってみて、何を感じましたか?
香坂:お湯の熱さはすごくきつかったんですが、上がった後に帰ってきた時、全然温まり方が違うんです。ポカポカの実感がずっと持続していて、「ああ、やっぱり横綱だ!」と感動しました。匂いも大丈夫になっていて、そこからはもう草津の虜ですね。
今ではどのようにお湯を楽しまれているのですか?
香坂:今ではお決まりのコースがあって、混雑を避けるために朝早く家を出ます。煮川の湯や地蔵の湯、白旗の湯といった無料の共同浴場を巡って、湯畑を見て「わー、今日も湧き出てる。すごいな」と感動し、おにぎりを食べて休憩して、午後の早い時間には帰ってくるという日帰りルーティンを楽しんでいます。
手びねりの土が放つエネルギーと、人が輝く瞬間に立ち会う喜び
マインドフルネスの教えから、どのように陶芸へと繋がっていったのでしょうか?
香坂:マインドフルネスの教えの延長線上で、茶道に関心を持ったんです。茶道って、お茶を飲むことだけが目的ではなくて、お招きされてからお庭の木々や掛け軸、お花を見て季節を味わい、お食事をいただいてからお茶席に移動する。そのすべてのストーリーがマインドフルネスなんですよね。
そこから陶芸へはどのような流れだったのでしょうか?
香坂:最初は、キッチンのステンレスのボウルを使って、自分で動画を見ながらお茶を点てる練習をしていました。それを知人に話したら、「抹茶碗なんて、自分で作ればいいじゃん。今度おいでよ」と言われたんです。それが陶芸との初めての出会いでした。自分で教室を探したわけではなく、何気ない一言で行ってみたら、すっかりはまってしまったんです。
陶芸を始めてから、どのようにのめり込んでいかれたのですか?
香坂:最初は全然上手く作れませんでした。陶芸は100%土なので、手でひねり上げていく難しさがあります。でも「絶対に自分で抹茶碗を作る」と決めていたのでやめられなくて。最初は鈍器になるくらいの重たい器を作っていたのですが、どんどんのめり込んでいきました。連休が取れる時は先生の家に車中泊しながら2泊3日で入り浸り、朝から晩までずっと土をいじって作っていましたね。
どのような技法で作られているのですか?
香坂:私の作品はロクロを使わず、手びねりという技法で作っています。電動と違って、土を手で寄せ集めながら少しずつ形を作っていくので時間はかかります。ですが、均一に整えるのではなく、ゴツゴツとした素朴な風合いや手の跡をあえて残すことで、手作りの温かみが出るのが特徴です。
ご自身の作品を販売し、「作家」として活動しようと決めたきっかけを教えてください。
香坂:先生から「これ、欲しいって思う人がいるから売ってみなよ」と言われたのがきっかけです。「え、そうなんだ!私の作品を気に入ってくれる人がいるかもしれない」と思って、販売を始めました。
実際に作品を手にしたお客様の反応で、印象に残っていることはありますか?
香坂:お客様が作品を持って「欲しい!」と思った瞬間、その人から発せられる輝きが変わるんです。それを見た時がすごく嬉しくて。作品を買ってもらえたこと以上に、気に入ってくれた瞬間にパーンと弾けるようなその人の輝きを見るのが、今の作家活動の最大の原動力になっています。
屋号である「いろは」には、どのような想いが込められているのでしょうか?
香坂:「いろはにほへと」の和歌から取っています。あの歌には、物事に振り回されず、外側がどう変わろうとも自分の本来の良いところを大切にして、一本筋を通して生きるという意味が込められていると思っています。
その想いを、どのように人々と共有したいと考えていますか?
香坂:私たちはいろんな役割を持っていますよね。誰かの娘だったり、母親だったり、会社の役職だったり。でも、心が惹かれるものに出会って内側から輝いた瞬間、みんな「本来の素の自分」に戻っているんです。そういう人たちをたくさん繋いでいきたいし、そういう人たちに来てほしいという思いで「いろは」と名付けました。
作家名である「こう」にも意味が込められているのですね。
香坂:はい。作家名である「こう」という音にも、光や香りのように、人の輝きを引き出して繋ぐ役割を果たしたいという思いを重ねています。
勝負の赤と着物で土と向き合う。草津で世界と繋がる小さなお店を
活動の際に着物を着られているのには、何か理由があるのでしょうか?
香坂:実はこれ、大学で経営学を学んでいる息子からのアドバイスなんです。作品を世に出してみてもなかなか飛ぶようには売れなくて、どうしたら魅力が伝わるか悩んでいた時に息子に相談しました。すると、「売っているものと、売っている人のイメージが離れているからじゃないか」と。マーケティングの視点から「陶器を売る人が洋服を着ているより、着物の方がイメージしやすいでしょ」と言われたんです。
実際に着てみていかがでしたか?
香坂:たまたま親戚に呉服屋さんがいて着物を持っていたので、じゃあ着てみようと。今ではすっかりハマってしまって、毎日着物でもいいかなと思っているくらいです(笑)。着付けも自分で、時間がない時は帯の代わりにベルトを使ったミックスコーデを楽しんでいます。
コーディネートに赤色をよく取り入れられているようですが、赤という色には何か意味があるのでしょうか?
香坂:自分が赤を好きだというのもありますが、赤はグラウンディング、つまり第1チャクラの色なんです。大地と繋がる、自分自身の土台をしっかりとさせるという意味合いがあるので、ここぞという時には赤を取り入れるようにしています。
今後の未来の展望や夢を教えてください。
香坂:自分の小さなお店を持ちたいというのが今の夢です。実は今も自宅のガレージで小さな「いろは」をやっているのですが、きちんとした店舗を構えたいと思っています。
出店する場所として、草津を選ばれた理由は何でしょうか?
香坂:その場所はやっぱり草津がいいんです。草津に通う中で、湯治で1週間ほど長期滞在している方々の話を聞いて「羨ましいな、私も毎日温泉に入りたい!いっそのこと住んでしまいたい」と真剣に思うようになりました。
草津の地で、どのようなお店を目指したいですか?
香坂:草津は国際的に有名な場所で、海外の方もたくさんいらっしゃいます。世界には垣根がないと思うので、自分が大好きな草津に店舗を構え、日本の方にも海外の方にも、私の作品を通じて内なる輝きやエネルギーをシェアできる場所を作れたらいいなと思っています。
編集後記
「人間ではなく、自然の一部なんだ」。彼女のその言葉が強く胸に残った。 若き日の就職難や子育ての壁に直面しながらも、香坂さんはヨガを通じて「今」を受け入れ、土をこねることで自分自身と根気強く対話してきた。 かつては草津の匂いに馴染めなかった彼女だが、今ではその圧倒的な湯の力に魅了され、この地に根を下ろすことを夢見ている。手びねりの器に残る不揃いな指の跡は、私たちが本来持っている「完璧ではない素の美しさ」を肯定してくれているようだ。 いつかこの町に「いろは」の看板が掲げられ、世界中から訪れる人々の内なる輝きを引き出していくのだろう。