伊藤仁美さん

埼玉県出身。介護士として働き、3人の娘を育てる。自身の体調不良を機に身体のケアに関心を持ち、整体や内臓マッサージ、CS60などを習得。20年来通い続けていた草津へ、2024年1月より移住し、本格的に施術活動を開始。持ち前の明るさと豊かな人生経験から、心身の悩みに寄り添う施術家として親しまれている。

好奇心だけで海を越えた中学生と、感覚を麻痺させた無敵の20代

伊藤さんは実際お会いするとすごくエネルギッシュで明るい方ですね。ご自身の性格をどのように捉えていらっしゃいますか?

伊藤:人見知りゼロなんですよ。どこに行っても、言葉が通じない海外に行っても友達を作ってくる感じで。壁を作らず、自分から友達を作りに行っちゃうんです。

自分からどんどん飛び込んでいくその行動力は、子供の頃からずっと変わらないのでしょうか?

伊藤:そうですね、子供の頃からとにかく好奇心旺盛でした。父がテニスのコーチで、気づいたらラケットとボールを持っていたという感じなので、物心ついた頃から高校3年生まではずっとテニスをやってました。関東大会に出るくらい、もう体育会系でガッツリやってましたね。あと小学生の時は、携帯もない時代だったんですが、一人で新宿駅の何駅か手前で降りて、「どうやって新宿駅にたどり着くか」っていう遊びをしてました。「まあ新宿はあのビルがあるし、多分あそこ目指して歩けばいいんじゃないか」みたいな感じで(笑)。全くわからない場所からたどり着いた時の喜びを、一人で楽しんでましたね。

小学生で新宿で迷子になる遊びをするとは、並外れた好奇心と行動力ですね。海外にも早くから興味を持たれていたのですか?

伊藤:はい。小学校5年生の時に「海外に行きたい」ってなって。中学生の時に、同意書だけは親にサインしてもらわないといけないので、「行ってくるから、お金も全部準備してあるから」みたいな感じで自分で全部決めちゃって親に伝えて。びっくりした親も「まあ……行ってらっしゃい」って(笑)。それで、夏休みの短い期間でしたけど、オーストラリアに行きました。

中学生で一人でオーストラリアへの留学計画を立ててしまうなんて、ご両親もさぞ驚かれたでしょうね。初めての海外、ホームシックにはなりませんでしたか?

伊藤:ホームシックどころじゃなくて、帰りたくなかったです、楽しすぎて! 英語は全然喋れないんですけど……今も全然喋れないんですけど、なんか適当にやってます(笑)。私、ハプニングが好きなんですよ。基本的に旅行の行動を決めないんです。場所は決めても、初日にどこ行くかも何も決めずに、着いた時の体の感覚で「今日こんな感じだからここ行こうか」って。次の日起きて、「どうする?どこ行く?」というのを計画を立てずにいて、そこで起きるハプニングが面白くて。

言葉が通じなくても、思い通りにいかなくても楽しめるんですね。

伊藤:頼んだはずのものがないとか、タクシーがこないとか。そこでどうするかというのが楽しくて、そこで起きた出会いとかを楽しみにしているんです。娘が「バリのオーガニックの店に行きたい」と言って一緒に行った時も、1日頼んでいた運転手さんが来なくて、連絡もつかないって大騒ぎになったんですよ。でも私は「絶対うまいこといくことになってる、絶対いい風に行くよ!」って言っていて。結局別の運転手さんがめちゃくちゃいい人で、「じゃあいくらだったら僕が1日連れて回ってあげるよ」って言ってくれて、全ての場所のガイドまでしてくれました。「適当な英語でも一緒に行こう」って、今も全然気にせず飛び込んじゃいますね。以前も娘から「明日の部活がOFFになった」と夜の7時頃言われて「じゃあ今から那須に行こう、出発は1時間後ね」と娘3人と泊まる場所も何も決めずにそのまま旅に出たりハプニングだらけですけどそんな旅も楽しんでます。

その尽きないエネルギーの源はどこにあるんでしょう? 若い頃からずっと健康で体力があったのですか?

伊藤:私もずっとスポーツをやってきて超健康で、ラーメン2~3杯とか食べちゃうくらいでしたし。部活が強化部で休むことが許されなかったんですけど足が痛くて接骨院に行くと「疲労骨折になりかけてるからこのまま続けると骨折しちゃうんで休んで下さい」と先生に言われたんです。でも顧問の先生が怖くてそんな事言えなかったのでそのままやり続けたらいつの間にか治っちゃいました(笑)。熱もほぼ出た事なくインフルエンザになっても次の日全然元気になっちゃう感じで、自分はすごく丈夫だと思ってましたし、頭痛とか肩こりとか何も感じたことが全くなかったんです。

「やばいよ、死んじゃうよ」——目覚めた身体の悲鳴と癒しの道

頭痛や肩こりを感じたことがなかったという伊藤さんが、ご自身の体のケアに関心を持たれたのはどのようなきっかけだったのでしょうか?

伊藤:たまたまその時に、福岡からすごい指圧の先生が埼玉に来るというのを知って、「受けてみな」と言われたんです。「でも何にも悩みもないけど」と言って受けた時に、「全ての感覚と感情がなくなっている」って言われたんですよ。苦しいとか悲しいとか痛いといった感覚もそうですし、胃カメラで異常が見つかるほど胃の状態が悪かったのに、当時は何も感じていなくて。「ラーメンも普通に食べてますし、胃もたれも感じたことはないですよ」って言ったら、「感覚がないだけだよ」って。

自覚症状が全くなかったのに、実は体が悲鳴を上げていたということですか?

伊藤:はい、無意識のうちに感覚を麻痺させてしまっていたんです。楽しく子育てをしたくて早く結婚したんですが、3人の子供を育てながらしっかりと仕事をする必要があって、介護の仕事を始めたんです。でも、いざ始めてみたら天職なんじゃないかっていうくらい仕事が楽しくて。子育ても充実していたので、自分としては何のストレスもないと感じてたんです。でもその時に施術を受けて、「ここのツボを押すと男の人でも飛び上がって騒ぐくらい痛がるやつだけど、押しても絶対何も感じないよ」と言われて、本当に何も感じなくて。「やばいよ、このままだと死んじゃうよ」って言われて、かなりほぐしてもらいました。

ほぐしてもらった後、体調に変化はあったんですか?

伊藤:だんだんと身体の感覚が戻ってきて1週間経った時に、もう胃が痛くて動けないくらいになってしまって。全部の感覚が戻ってきちゃったんですよね。肩が重いとか頭痛とか全部出てきて。胃カメラを飲んだら「慢性胃炎ですね、この歳でよくこんなストレスためて……」と先生に言われて、「ストレスあったんですか?私」くらいの感じで(笑)。
さらにピロリ菌の感染も判明したため除菌薬を処方されたのですが、普段まったく薬を飲まない生活をしていたせいか、強い副作用が出て食事が喉を通らなくなってしまったんです。麻痺していた感覚が戻ったことに加え、そうした体調の急変も重なって、人生で初めて「頭痛や肩こりってこういうことなんだ」と強烈に自覚して驚きました。その後、限界を迎えたのか出先で倒れて救急車で運ばれる事態になってしまい……。普段元気な母親が倒れたのが余程ショッキングだったのか、娘たちからは「あの日のことはいまだに覚えている」とよく言われます。

ご自身の身体が限界を超えていることに気づき、そこから施術の勉強を始められたのですね。

伊藤:最初は自分がやる側になろうとは全然思ってなくて、受けまくってる方でした。いろんな施術を受けまくっていたんですけど、全部は一気に取れなくて、ちょっと疲れると肩こりとか頭痛が出るようになってきて。これをベストな状態に持ってくにはどうするんだろうということで、食べ物も運動も施術も受けまくりながら、「じゃあ自分でも勉強しよう」という感じで、整体の学校に行ってみたり、気功のようなエネルギーワークをやったりしました。

いろいろな施術を学んだ中で、現在提供されているCS60や内臓マッサージに行き着いた理由は何ですか?

伊藤:私が受けたことのある内臓マッサージというのが、中国の方が体重全部かけて内臓をほぐすという、ベッドに寝られないくらい痛いやつだったんですけど、受けた後はすっごく良かったんです。でもこれを耐えられない人は多いと思った時に、出会ったのが「CS60」で「CS60」だったら、持続性が出て深い部分をほぐせるという意味で、そこまでの痛さじゃなくてもほぐせるんじゃないかと思いました。私はCS60の施術に加えて、内臓と頭をメインにやった方がいいと思ってやらせていただいています。もともと私みたいに感覚が鈍くなっている方は、一旦感覚が戻るので、1回戻ってからまた受けて軽くなるという方もいます。

澄〜sumi〜 / 伊藤仁美

お仕事や子育ては大変なことも多かったと思いますが、ご家族との関わりの中で支えになったことはありますか?

伊藤:ずっと実家にいたんですけど、父と母は働いていて祖父母は畑をしながら子育てを手伝ってくれ大家族で育てたので、すごく充実してました。近所のお爺ちゃんお婆ちゃんも悪い事をしたらちゃんと叱ってくれるし、良い事をしたらちゃんと褒めてくれ近所のアイドルとして育ててくれました。
隣のお婆ちゃんの家でお夕飯をいただいたり泊まりに行った事もあります笑

地域の温かいコミュニティの中で子育てをされてきたんですね。

伊藤:ええ。それに、うちの祖母とは祖母が元気な時から「私が家で看るからね」と約束をしていました。ひ孫の娘達もご飯を食べさせてもらったりオムツを替えてもらったり今度は私達が恩返しをしようという事でさせていただきました。祖母は人が老いて亡くなるという姿を身をもって娘達に教えてくれました。娘達にとって最高の学びになったと思います。命の循環はこういうことだよ、というのを。

雪の厳しさと野菜のおすそ分け。大好きな地で紡ぐ新たな繋がり

地元でのそうした温かいつながりがあった中で、改めてなぜ草津という土地に移住し、チャレンジしようと思ったのでしょうか?

伊藤:3人の娘がいるんですが、「大滝乃湯」のお湯が体にあうということで、20年くらい通い続けていました。去年の9月にも長女と泊まりに来て、「最高だね、毎週来たいね」なんて話していたら、たまたまこちらでのお仕事のお話をいただいて。「あ、じゃあ」という感じで、自然な流れで決まりました。もともと長年通っていた大好きな場所ですし、毎日温泉に入れるのも魅力的だなと思って。

ずっと埼玉のご実家にいらした中での移住。実際にこの地で暮らし始めて、大変なことはありましたか?

伊藤:大変でしたね。移住してまだ数ヶ月ですが、雪の生活には慣れていないので苦労しました。でも、一度施術を受けてくださった方がまた来てくれたり「なるべく通いたい」と言ってくださる方もいて、草津には珍しいタイプの施術を提供しながら、少しずつ関係を築けているのが嬉しいです。

草津という土地で、今後どのように地域の人々と関わっていきたいですか?

伊藤:埼玉で父が無農薬の畑をやっているんですが、捨てるくらいなら皆さんに食べてもらいたいということで、実家に帰るたびに野菜を草津へ持ち帰ってきているんです。それを近所の方やホテルの人に「食べてください」って配っていて。父も皆さんに喜んでもらえるのが嬉しいし、私もそれを見ていて嬉しいんですよね。そうした小さな繋がりを大切にしていきたいです。故郷の埼玉も大事ですが、草津で出会った方々もすでに大切な存在になっています。私、一度お会いしただけで勝手にすごく仲良くなった気になっちゃう性格なんですけど、相手の負担にならないよう、入り込みすぎないようには気をつけようと思っています(笑)。

地域との温かい交流がもう生まれているんですね。これから草津で活動していくにあたって、お客さんにはどうやって情報を届けていく予定ですか?

伊藤:今は看板も出していませんし、SNSも苦手で一切やっていないんです。以前1回だけ挑戦したことがあるんですけど、何を投稿していいか分からなくなっちゃって、方向性が迷子になっちゃったんですよ(笑)。でも、これから草津で本格的にやっていくなら、少しずつSNSくらいは始めてみようかなと考えています。

伊藤さんの飾らないお人柄と確かな施術の魅力は、きっと多くの人に伝わると思います。今後の草津でのご活躍、応援しております! 本日は貴重なお話をありがとうございました。

澄〜sumi〜 / 伊藤仁美

【編集後記】

持ち前の好奇心でハプニングすらも楽しんでしまう伊藤さんのお話を聞いていると、こちらまで元気をもらえるような不思議な感覚になりました。壮絶な過去や、3人の娘さんを育て上げた豊かな人生経験があるからこそ、初対面でも思わず深い悩みを打ち明けてしまう人が後を絶たないのでしょう。大好きな草津という新しい舞台で、人々の心と体をほぐしていく彼女のこれからの活躍から目が離せません。心身の疲れを感じた時は、ぜひ伊藤さんの元へ足を運んでみてください。