大村 智英さん
窮屈さを飛び出し、自分の足で立つための助走
学生時代はどのようなことに熱中していたのですか?
大村さん:大学の頃はカメラをやっていて、一眼レフで色々な写真を撮ったり、絵を描いたりしていました。人物を撮りたかったのですが、いきなり街中で「写真撮らせてください」と声をかけるのは怪しいじゃないですか。だから自分でコスプレを始めて、仲間を増やして撮影の練習をしていました。大学で最初は弓道をやっていたんです。でも奨学金を借りていなかったので、学費を稼ぐためにアルバイトをたくさん入れなければならず、時間の確保ができなくて辞めてしまいました。その点、自分のタイミングで始められる絵や写真は性に合っていたのだと思います。
カメラや絵といった趣味から、社会人になってどのようなキャリアを歩まれたのでしょうか?
大村さん:大学卒業後は秋葉原のアニメ、マンガ、ゲームなどの関連グッズを専門に取り扱う会社で働いていた時期もありました。その後、父親が亡くなったので実家のある板橋に戻り、そこから通えるバイク販売会社に転職しました。本社で事務や保険関係、パーツの発注部署などに所属して、そこには6、7年くらいいましたね。社会人経験の中では一番長く続いた職場です。
そこから「自分で商いをしよう」「独立しよう」と考えたのはなぜですか?
大村さん:もともと「独立する」という考えはずっと持っていました。父親が会社を経営していたタイプだったので、そういう生き方を近くで見ていたのも大きかったと思います。会社にいても、一生この会社に勤めるという感覚がそもそもなかったんです。実際に勤めている間に、やっぱり「会社勤めは嫌だな」と感じるようになっていきました。
会社員生活のどのような部分に葛藤があったのですか?
大村さん:僕の性格上、思ったことを忖度なくズバッと言ってしまうんです。だから会社にいると、どうしても周りと喧嘩になってしまう。「こうした方がいい」と思って提案しても上司とぶつかるし、かといって勝手に進めたら怒られる。人間関係のしがらみや、自分の意志で自由に動けない窮屈さがすごくストレスでした。それなら、自分の責任で意思決定できる環境に身を置いたほうが絶対にいい。そう思い、独立への思いを強くしていきました。
月1の草津通いから、いつしか日常へ。旧友と共に挑むゼロからのスタート
そこから草津でお店を開くことになった経緯を教えてください。
大村さん:僕自身、もう11年ほど前からずっと草津には行ったり来たりしていたんです。とにかくお風呂が好きで、月に1回は足を運んでいました。最初は観光もしていましたが、次第にすべて回りきってしまい、ただお湯に浸かるためだけに来るようになって。仕事で疲れたらパッと草津に来て、お風呂に入ってすぐ帰るという生活を繰り返していました。 そうやって通ううちに、草津で解体や片付けの便利屋をやっている地元のおじちゃんたちと仲良くなり、来た時には仕事を手伝ったり、泊まらせてもらったりする関係になりました。その繋がりで「ここの物件が空くよ」という話をもらったのが、草津で店を開く直接のきっかけです。

お店の名前「白狐商店」の由来は何だったのでしょうか?
大村さん:初めて草津の雪景色の中でキツネを見た時のことが、ずっと印象に残っていたからです。雪を被っていて、まるで白いキツネのように見えたんですよね。「あ、キツネだ」と感動したのを思い出して、店名にしました。ちなみに今でもお店の周りにはちょくちょく本物のキツネが出ますよ。
実際に草津でお店を構えてみて、予想外の苦労や大変だったことはありましたか?
大村さん:草津ならではの環境の厳しさ、特に硫黄成分の強さには手荒い洗礼を受けました。うちの店は建物の構造上、足元が開けっ放しになっているので冬はとにかく寒いんです。それに硫黄ガスが上がってくるから、100円玉を1週間置いておくだけで真っ黒に腐食してしまう。最初は1階で接客しながらパソコン作業をしていたんですが、「このままだと自分のパソコンが壊れる」と怖くなって、慌てて2階へ避難させました。冷蔵庫もすでに3台ほど硫黄で壊れています。
たしかに、草津では電化製品がすぐに壊れますよね
大村さん:環境の難しさもありますし、古い建物なので床が少し緩いという建物の制限もありました。でも、だからこそ「お金をかけずに今あるもので何ができるか」を考えたんです。無理をせず自分のペースで楽しんでやれているので、苦しいとか面白くないと思ったことは一度もないですね。会社員時代の対人関係のストレスがなくなり、すべて自己責任でやれる今の環境が本当に肌に合っています。
本格エアガンから絶品弁当まで。「なんとかなる」で広がる縁

当初は物販メインで考えていたそうですが、なぜ射撃体験のお店になったのですか?
大村さん:最初は湯の花を仕入れたりしてお土産屋さんをメインに考えていました。でも、先ほど言ったように建物の床が少し緩くて、お客さんをたくさん入れて飲食をするには不安があったんです。それで、スペースも空いているし手持ちのエアガンでも試しに置いてみるか、くらいの気持ちで出してみたら、そちらの方が予想以上に反響があって。今ではすっかり射撃体験がメインの店になっています。
草津の町中には昔ながらの射的屋さんもありますが、白狐商店さんの射撃体験は全く雰囲気が違いますね。
大村さん:そうですね。コルク銃で的を狙う観光地によくある射的とは違い、うちは本格的なエアソフトガンを構えてもらうので、かなり珍しい体験ができると思います。

そこから今度は、絶品のお弁当事業も始められたと伺いました。全く違うジャンルですが、きっかけは何だったのでしょうか?
大村さん:地元の旅館の方から「従業員のお昼ご飯をちょっと作ってほしい」と頼まれたのがスタートです。試しに作って持っていったらめちゃくちゃ好評で、「これをお弁当にしてみない?」と提案していただいたんです。そこから旅館に卸すようになり、今では日曜日になると150食ほど作るまでになりました。現在は知り合いのホテルのキッチンをお借りしていますが、近々、近くにあった中華料理屋の跡地を改装して、朝食と昼食を提供する定食屋兼お弁当の仕込み場所を新しくオープンする予定です。
大村さんは、お料理の修業などをされていたのですか?あの美味しいお弁当のルーツが気になります。
大村さん:全く学んでいないです。完全に独学で、好きでやっているだけなんですよ。昔から食べるのが本当に大好きで、「美味いものを食いたい」という理由だけでバイクに乗って全国を旅していたくらいですから。山菜を自分で採りに行って「あ、こういう味なんだ」と確かめたり、普段から自炊を続けたりする中で、自分なりの味を研究してきました。

一歩踏み出せば応えてくれる草津。若者が気軽に飛び込める「遊びの基地」を
草津でこれから、どのようなことを仕掛けていきたいと考えていますか?
大村さん:草津のアクティビティをもっと増やしたいですね。具体的には、サバイバルゲームのフィールドを作ろうと動いています。草津はお風呂も素晴らしいし、癒やしを求めて来る場所としては最高なのですが、子供たちや若い世代が遊ぶ場所が極端に少ないんですよ。観光客だけでなく、地元の人も遊べるようなお店にしたいと思っています。「1日あれば全部回りきれてしまう」という声を、お客さんからも地元の人からもよく聞きます。地元の子供たちもうちに遊びに来るくらいですからね。
アクティビティが増えることで、草津の町はどう変わっていくと思いますか?
大村さん:若い子たちを町に引き留めるきっかけになるはずです。草津はどうしても高年齢層向けのコンテンツが多くなりがちですが、サバゲーのようなアクティビティがあれば、Z世代などの若い人たちも足を運びやすくなる。「ここで遊びたい」から始まって、「ここでアルバイトしたい」「住んでみたい」と思ってくれる人が増えれば、間違いなく町全体の活性化に繋がります。若い人たちにとっての、敷居の低い入り口を作りたいんです。
外から草津へやってきた大村さんにとって、草津のコミュニティはどのように映っていますか?
大村さん:草津は「流れ者の町」だった歴史があるらしいんです。昔から色々な事情を抱えた人が集まってきたからか、相手の素性を詮索しすぎないけれど、困っている人は絶対に助け合うという精神が根付いている。東京では考えられないくらい、人と人が助け合うのが当たり前になっているんです。 本当にお風呂に入れば「どこから来たの?」と声をかけてくれるし、裸の付き合いからそのまま飲みに行くことだってある。そうしたコミュニティのあり方が、草津の最大の魅力だと思います。
最後に、草津への移住やチャレンジを考えている方にメッセージをお願いします。
大村さん:一歩踏み出せば、ちゃんと返ってくるのが草津という町です。何をしていいか分からなくて最初は怖いかもしれませんが、自分から一言声をかけてみてください。草津の人たちは気さくで温かいので、そこから一気に繋がりが広がります。 あまり難しく考えずに、気のいい隣人に話しかけるような感覚で飛び込んでみてほしいですね。僕自身もそうやって色々な人に助けられてきました。構えずに遊びに来て、この町の温かさに触れてみてください。きっと、思いもよらない面白い縁が広がっていくはずです。
【編集後記】
100円玉が真っ黒になるほどの強烈な硫黄の香りと、骨身に染みる冬の寒さ。決して甘くはない独自の環境を持つ草津において、白狐商店の大村さんは軽やかに、そしてたくましく根を張っている。立派な経歴や周到な計画よりも、「美味いものを食べたい」「面白い場所を作りたい」という純粋な知的好奇心が、次々と新たな事業を生み出す原動力となっていた。 「一歩踏み出せば、ちゃんと返ってくる」。大村さんの言葉には、10年以上この町に通い、自らの足と手で人間関係を築き上げてきた確かな実感がこもっている。彼が仕掛ける新たな「基地」が完成したとき、草津の町にはきっと、かつてないほどの明るい笑い声が響き渡るはずだ。