太田正孝さん

千葉県在住。大学・大学院で都市計画を学び、商社や国土交通省関係の団体で大規模な街づくりや都市開発に携わる。50歳のころ、千葉で地域コミュニティづくりを目指して「軒先珈琲プロジェクト」に参画。学生時代からスキーや温泉で通い続けてきた群馬県草津町に魅了され、2015年からマンションを賃借、後に一軒家を新築。現在は月に一度草津を訪れ、「草津焙煎クラブ」の運営や地域の人々との「小商い(CO-AKINAI)」を通じて、新たな町の活気づくりに取り組んでいる。

「本当に自分が淹れた珈琲でお金をもらっていいの?」。50歳から始まった地域との繋がり

軒先珈琲 / 太田 正孝

まずは、「軒先珈琲」というお名前の由来について教えてください。

太田:軒先珈琲は、主催者の佐藤が立ち上げたプロジェクトです。「軒先」とは、家の中と外を繋ぐボーダーラインのようなスペースのこと。佐藤は当初、「商店街の空き店舗の『軒先』にポップアップの珈琲店を出せないか」というアイデアを持っていました。また、佐藤の仲間で珈琲の自家焙煎を練習している方がおり、その過程で大量にできる豆を有効活用したいという狙いもあったそうです。そうした背景からプロジェクトが立ち上がり、SNSでパートナーを募集していたところに私が手を挙げ、参画することになりました。

主催者の佐藤さんのことは、どのように知って、出会われたのですか?

太田:当時、仕事でリノベーションに関わっており、「エリア単位でリノベーションを重ねて町を良くする」という取り組みが北九州で行われていることを知り、興味を持ちました。 千葉県在住の私も地元で同じような活動ができないかと考え、似たような方向性を持つ人を探していたのです。 その時にたまたまSNSで見つけたのが、佐藤の募集でした。 クラウドファンディングのような形式で賛同者を募っていたため、参画権を購入したのが最初の出会いです。

商品や屋号を使わせてもらうフランチャイズとは異なり、人と人の繋がりを生む仕組みなのですね。

太田:そうですね。 フランチャイズではなく、共にプロジェクトを運営する「仲間」として参加する仕組みです。 珈琲の淹れ方などの技術やノウハウはシェアしてもらえます。 実際の活動としては、出店できるイベントを紹介してもらったり、軒先珈琲が企画するイベントに依頼を受けて出店し、珈琲を淹れることから始まりました。

軒先珈琲 / 太田 正孝

珈琲での活動がしたいというお考えだったのでしょうか。
太田:実は、当初は珈琲自体へのこだわりはあまりなく、「地元で仲間と一緒に町づくり的な活動がしたい」という想いが先行していました。 千葉に住みながら東京へ通勤する生活が長く、地元との繋がりが全くなかったんです。 このプロジェクトに参加し、様々な方を紹介していただいたことで、初めて地域との繋がりが生まれていきました。

最初に、お客さんに提供したときの体験は覚えていらっしゃいますか?

太田:よく覚えています。 千葉市で市民活動をしている方々の発表会のような場でした。 お金をいただく以上、「本当に自分が淹れた珈琲でお金を受け取っていいのだろうか」と、かなりの緊張感がありました。 私は自営業ではなくずっとサラリーマンをしてきた人間なので、自分で商売をして直接対価をいただくという経験が初めてだったんです。

最初の珈琲を手渡したお客さんのことも覚えていますか?

太田:お洒落な雰囲気の男性でしたね。 私のFacebookのプロフィール写真は、実はそのときの写真を使っているんですよ。

草津に通い続けて40年。「お湯」と「コンパクトな街並み」に惹かれ、空き家探しの苦労を経て構えた拠点

空き家探しの苦労を経て構えた拠点

草津に拠点を構えようと決めた理由や、最初の出会いについて教えてください。
太田:初めて草津を訪れたのは四十数年前の学生時代です。当時はスキーが主な目的でしたが、温泉も非常に素晴らしく、学生時代から社会人になってからも、冬になれば毎年のように旅行で訪れる生活が二、三十年続きました。

今とだいぶ、町の雰囲気も違いましたか?
太田:当時は今よりも観光客が少なく、飲食店にもすぐに入れましたし、20か所ほどある共同浴場も自由に入って回ることができました。 とにかく温泉のお湯が気に入っていて、それだけでも年に何度か足を運びたくなる場所でした。 就職後も会社の福利厚生を利用して通っていたのですが、あまりにも訪問回数が多くなり、「それならマンションを借りた方がいいのでは」ということになりました。 それが2015年のことで、そこから賃貸マンションを拠点にする生活が始まりました。

スキーと温泉がある観光地は他にもありますが、草津でなければいけない理由はどこにありましたか?

太田:志賀高原や野沢温泉、上越などにもよく行きましたが、草津は「お湯」と「町の雰囲気」が全く違いました。 町がコンパクトで、歩いてゆったりと回れる良さがあります。 街並みも魅力的ですし、湯気につつまれた湯畑の周辺などは、他の町にはない特別な雰囲気があったと思います。

草津はアクセスが少し悪いですが、その分移動して到着したときに「秘境感」といいますか、非日常感を味わえるような場所な気がします。

太田:越後湯沢などであれば新幹線で一時間ほどでパッと行けますが、草津は少し不便ですよね。 でも、逆にその不便さが良いのかもしれません。 おっしゃる通り秘境感があり、これくらい不便な方が非日常を味わえるのだと思います。

軒先珈琲 / 太田 正孝

現在、草津を訪れる頻度はどれくらいですか?

太田:今は月に1回、週末に来ています。 ゴールデンウィークや夏休み、冬休みなどには長期滞在することもありますね。

マンションから今の一軒家へ拠点を移された経緯を教えてください。やはり物件探しは苦労されましたか?

太田:以前の賃貸マンションは手狭でしたし、子どもが大きくなるにつれて外でバーベキューをするなど、もう少し自由度が欲しいと思うようになりました。 そこで4、5年前から新しい物件を探し始めたのですが、これがなかなか見つからなくて。 散歩しながら町を見て回ると空き家らしき建物はあるのですが、誰に交渉すればいいのかわからず、かなり苦労しました。 ただ、幸いマンションという拠点があったので、焦らずゆっくりと探すことができました。 最終的には、湯畑から歩いていける距離に元駐車場の土地が売りに出ているのをたまたま見つけ、即決で購入しました。 令和4年に一軒家が完成し、翌年には飲食と菓子製造の営業許可を取得して、ご近所さんに珈琲を振る舞うなど、少しずつ活動をスタートさせました。

今まではイベントに出店をしての活動が主でしたが、そこで「拠点」ができるわけですね。

太田:ええ。千葉で軒先珈琲としての活動を続けていた中で、いつか自分も「親子カフェ」のような場を作りたいという思いがありました。親子カフェというのは、軒先珈琲の主催者である佐藤が最初に作った、靴を脱いで親子でくつろげるカフェのことです。佐藤自身が子育てをしながら仕事もできる場所として作った空間だったのですが、私もそれに近いスペースを作りたいと考えました。ですので、どうせ草津に家を建てるなら将来的にそういう使い方ができるように、店舗部分は靴を脱いで上がれる作りに最初から設計してもらいました。そこで初めて、草津という場所と珈琲の活動が結びついたのだと思います。

軒先珈琲 / 太田 正孝

気づけばすっかり焙煎の“沼”に。一台の小さなロースターを囲んで生まれる、草津の温かなコミュニティ

珈琲豆や、珈琲を淹れる方法などに、こだわりはありますか?活動をするなかで、ご自身のスタイルなどを見つけたりしたのでしょうか?

太田:道具は色々と研究した結果、現在は群馬県のメーカーが作っている陶器のドリッパーを使っています。 機能性はもちろん、デザインも気に入って愛用しています。 焙煎に関しては、もともと担当のメンバーに任せていたのですが、その方がカフェに就職して活動から離れてしまい、4、5年前から私が「焙煎係」を引き受けざるを得なくなりました。

焙煎係を自ら引き受けることになったのですね。

太田:大量の豆を業者から仕入れるよりも、地域のイベントに出店するスケジュールに合わせて、自分たちで必要な分だけを焙煎し、使い切るサイクルにしたかったんです。 そのためには、自由度の高い自家焙煎を自分で行う必要がありました。 そうして「やらざるを得ない」状況からスタートしたのですが、いざ始めてみると面白くて、すっかり沼にはまってしまって(笑)。 今は専門家の方に教わったりセミナーに参加したりしながら、少しずつ技術を磨いている最中です。

焙煎の奥深さ

焙煎の奥深さというのは、どのようなところにあるのでしょうか?難しさや、珈琲に与える影響について教えてください。

太田:コーヒー豆は農作物なので、野菜のように水分を含んでいます。 料理と同じで、一気に強い火を入れると表面だけが硬くなり、中まで火が通らず水分が上手く抜けません。 それでは豆の内部で均一な化学反応が起きないため、最初は優しく熱を加え、状態を見ながら火力を上げ下げして調整する必要があります。 この火力調整のタイミングが合わないと、豆本来のフレーバーや酸味、甘味がしっかりと引き出せません。 最近ようやくその感覚が掴めてきたところですが、安定してコントロールできるよう、引き続き修行を重ねている状況です。

焙煎の奥深さ

個人で気軽に自分の家庭に入れられるものでもないですもんね。それがきっかけで、新しいコミュニティが生まれているとお聞きしました。

太田:はい。 うちの焙煎機は小型なこともあり、私ひとりで使うのではなく、地域の方々とシェアしたいと考えています。 焙煎を体験していただき、継続したい方には自分の豆を持ち込んで焼いてもらう「シェア焙煎」のような形での運営を始めました。 現在、草津でも3〜4人の方にサークルへ入ってもらい、LINEグループで「草津焙煎クラブ」を作って活動しています。 趣味で楽しむ方もいれば、将来カフェを開きたいという方もいて、目的は様々です。 単に豆を焼くだけでなく、焙煎を通じたコミュニティづくりであり、草津でのひとつの「小商い(CO-AKINAI)」の形だと捉えています。

他の小商いの芽も出ているのでしょうか?

太田:最初の「小商い」の事例として、ご近所にある「ケーキ叶屋」というスイーツ屋さんとのコラボレーションがありました。 「コーヒーゼリーを作りたい」というご相談を受け、私たちが焙煎した数種類の豆を試飲していただいた結果、インドネシアの豆を採用してもらいました。 そのコーヒーゼリーがご好評いただいているようで、これが小商いの第1号です。 第2号が先ほどの「草津焙煎クラブ」ですね。 月に一度の営業ではありますが、ご近所付き合いを通じて少しずつ紹介が広がり、草津の中で確かな繋がりの輪が生まれつつあります。これもひとえに、ご近所の皆さまをはじめ、地域の方々の温かい支えがあってこそだと、心から感謝しています。

軒先珈琲 / 太田 正孝

目指すは滝下区の新しい風。個性豊かな隣人たちとゆるやかに育む、ちょっとユニークな草津のカタチ

活動のなかで、奥様と喧嘩したりぶつかったりした時期はありましたか?

太田:珈琲の活動が原因で家庭内でぶつかったことは、幸い一度もありません。 妻もスキーが好きで、草津の温泉もとても気に入ってくれていたので、夫婦で共通の趣味と目的を持ち、一緒に楽しんで通うことができています。

軒先珈琲 / 太田 正孝

家族の反応、息子さんと娘さんの反応はどうでしたか?

太田:千葉でイベントに出店していた頃から、子どもたちも一緒に珈琲を淹れて手伝ってくれていました。 自分から積極的にというわけではないですが、「手伝って」と頼めば協力してくれます。 おかげで、娘も息子も小学生の頃から出店を経験し、家族全員が珈琲を淹れられるんですよ。

ご家族も自然とプロジェクトに参加されていたのですね。

太田:うちは長女、次女、そして末っ子の長男という3人きょうだいなのですが、実は一番下の息子が誰よりも草津に馴染んでいます。 珈琲の活動というより、町そのものに溶け込んでいますね。 趣味の自転車で草津の山をトレーニングで登っていたところ、同じ趣味を持つ地元の方に声をかけられ、一緒にツーリングをするようになったそうです。 そこから近所の商店の方に誘われて飲みに出かけたりと、次々に顔見知りが増え、今では私よりもずっと草津で顔が広くなっています。

お父さんとしては、そうやって交流されている姿を見て嬉しいですよね。

太田:そうですね。 ただ、息子が草津に来ると必ず地元の方からお誘いを受けて出かけてしまうので、親としては「もう少し家族で過ごす時間が欲しいな」と思うこともありますが(笑)。 私たち夫婦が好きで通い始めた草津ですが、結果的に息子が一番この土地を楽しんでいるのは、思いがけない嬉しい副産物でした。 色々と行動していると、こういった想定外の面白い化学反応が起きるものですね。

軒先珈琲の活動として、イベントに参加するというのに比べると、一軒家を拠点にかまえるという決断は、覚悟がいるものでしたか?

太田:不安が全くなかったわけではありませんが、大きな資本を投じて本格的な事業を立ち上げ、拡大していくといった気負いはありませんでした。 もともと珈琲の活動はポップアップ形式で進めていましたし、草津の一軒家も基本的には「家族の別荘」という位置づけです。 その別荘の一部の機能として、カフェスペースがあればいいなという感覚だったので、過度な設備投資や事業化へのプレッシャーはありませんでした。 あくまでサラリーマンとしての幅の中で、無理なくできることを上手く組み合わせてきた結果です。 大きな資本で飲食店を構えて集客するような覚悟も能力も、私にはありませんから。

それでも一歩づつ歩まれて、コミュニティも育っていっているのはすごいと思います。たとえばこのまま活動を続けられて10年後、軒先珈琲をこういう場所になっていたらいいな、といった想いはございますか?

太田:将来的に夫婦で定年退職を迎えたら、草津で過ごす時間は今よりも長くなります。そうすればカフェの営業日も増やせますし、やれることの幅も広がるので、自分たちのペースで少しずつ活動を膨らませていきたいですね。また、私たち単体での活動に留まらず、草津温泉コワーキングさんなど滝下区の皆さんと上手く連携し、エリア全体を盛り上げていけたらと考えています。今までの草津とは少し違った、新しい雰囲気を持つユニークなエリアになればいいなと。

滝下区は開発を控えていますし、ユニークな人も合わさって活気が生まれることは理想ですね。今は月1で通われていますが、いまも草津に向かうときは、ワクワクするものですか?

太田:はい、ワクワクしますし、毎回の準備も楽しいです。 「小商い」に関する色々なご相談を受けたりもします。 町づくりには建物を整えるといったハード面ももちろん必要ですが、私としては、マルシェなどの活動を通じて近隣の方々と生まれた繋がりを、これからも大切に育てていきたいです。 そのためのご協力ができれば、何より嬉しいですね。

軒先珈琲 / 太田 正孝

【編集後記】

小さな焙煎機から始まった「シェア焙煎」や、地元のケーキ屋さんとのコラボレーション。太田さんのお話を伺っていると、一杯のコーヒーを起点に、草津の町で面白いことが次々と連鎖していくワクワク感が伝わってきました。 月に1度のオープンに向けて楽しく準備をし、ご夫婦で店頭に立ちながら、地域の人々とゆるやかにアイデアを交わし合う。そんな太田さんたちの活動が、草津という町との新しい関わり方を見せてくれています。 太田さんの話し方や表情は温かくて柔らかで、安心感を感じます。お話を伺いながら、太田さんの周囲にはいつも温かな空気が流れているのを感じました。美味しいコーヒーとこの町の温かい空気を味わいに、軒先珈琲を訪れてみませんか。