牧野 ひかる
飛騨の大自然を駆け巡った幼少期。大人になって知る素朴な町の心地よさと親心
まずはご出身についてお伺いします。飛騨高山は、ひかるさんにとってどんな町ですか?
牧野:出身は岐阜県の飛騨高山です。高校までずっと地元にいて、大学も県内の学校へ進学し、新卒でまた地元に戻って就職したので、本当に長く過ごした場所になりますね。実はそこにずっと住んでいた頃は、地元の魅力にあまり気づけていなかったところがあったんです。でも、2年くらい前に千葉へ引っ越して少し離れてみたことで、家の周りに当たり前のように広がっていた大自然、山の緑の美しさや川の水の綺麗さに、初めて客観的に気づくことができました。飛騨高山には都会のような華やかさや煌びやかさはないのですが、素朴な優しさがあって、とても心地よい場所なんです。私、本当にこういう大自然が大好きだったんだなと、ここ1、2年で改めて深く感じるようになりました。

そこで暮らしている人たちの気質に、何か特徴のようなものは感じますか?
牧野:岐阜県の県民性的なところも影響しているとは思うのですが、あまり自分からぐいぐいと自己主張をするような感じではないですね(笑)。地元を大々的にアピールしたりPRしたりするのが、少し苦手な人が多いような気がします。私自身もそういうタイプなのですが。でも、その奥ゆかしさの裏には、周りの人や物事を静かに受け入れる優しさが根付いているようにも感じています。田舎特有の古い伝統や文化、お祭りなんかもすごく大切に受け継がれている地域なので、もっと外に向けて発信されてもいいのにな、表現されてもいいのになと、外の世界を知った最近になって思うようになりました。
そんな自然豊かな場所で育ったひかるさんは、子供の頃、どんなふうに過ごされていましたか?
牧野:もう、本当に男の子みたいな子供でした。とにかく走ったり体を動かしたりするのが大好きで、バッタを追いかけて捕まえたりして遊んでいましたね。今はちょっとバッタは触れなくなってしまったんですけど(笑)。小さい頃は兄と一緒に走り回り、もう少し大きくなると近所の女の子たちとみんなで集まって一輪車に乗ったり、砂遊びをしたり。家にいた記憶があまりないくらい、ほとんどの時間を外で過ごしていました。高校に入ってからは陸上競技の400mハードルを専門にしていて、厳しい練習に打ち込んだ3年間でした。体力的にすごくきつかったですけど、コーチの熱い思いに応えたくてどんどん目標ができて、本当に楽しかったですね。

食に関する原体験についてもお聞きしたいです。ご家族の食卓で、今でも思い出す味はありますか?
牧野:私が中学生や高校生の頃は、母も父も共働きで一生懸命に働いてくれていました。だから、料理をする十分な時間がとれず買ってきたお惣菜が食卓に並ぶということも少なくはなかったんです。その当時は子供だったので特別な感情は抱いていなかったのですが、大人になって振り返ると、私立の高校に通わせてくれて、陸上部でも思い切り頑張らせてもらえて。忙しく大変な中で、何よりそうやって食事を絶やすことなく準備をしてくれて、愛情を注いで育ててくれていたんだなぁと。大人になった今、感謝や有り難さが込み上げてきていつも胸がいっぱいになります。
ご両親への深い感謝があるのですね。今、お母様が作ってくれる料理で大好きなものはありますか?
牧野:私が社会人になって実家を離れてから、母のライフスタイルが少し変わったんです。今は午前中に自分の畑で農作業をして、午後から少しだけ仕事に出るという、自分の好きな時間を持てる生活になりました。そうやって自分の時間が持てるようになった母が、自分で大切に育てたじゃがいもを使って作ってくれる「コロッケ」が、もう何よりも大好きで。何もソースをかけなくても、お芋の味がダイレクトに伝わってきて本当に美味しいんです。あんなにあたたかさを感じる美味しいコロッケは他に食べたことがないなと思うくらい、私にとって常に頭に浮かぶ大切な味ですね。
数字で管理される世界への違和感。心と体を休めて気づいた薬膳の教え

高校卒業後の進路を選ぶ際、管理栄養士という道に進まれたのはなぜだったのでしょうか?
牧野:高校から大学へ進学する時は、まだそこまで強い意志があったわけではなくて、ぼんやりとしていたんです。ただ、学校の家庭科の授業の中で「食」の分野にはやたらと興味を惹かれる自分がいて。食と言っても色々な分野があるので、具体的にどういう形で携わりたいかまでは明確ではなかったのですが、「私が興味があるのはやっぱりここだな」という直感がありました。そこから管理栄養士の養成学校を色々と調べる中で、最終的にご縁のあった大学へ進学し、卒業後は地元の老人保健施設で5年間、管理栄養士として働かせていただきました。
新卒で入られた老人保健施設での日々は、いかがでしたか?
牧野:私がお世話になった施設は、医療的な体制がしっかりと整っている場所で、看護師さんやドクター、理学療法士さんや作業療法士さんなど、本当に色々な専門職の方が揃っている大ベテランばかりの職場でした。そんな中に、経験もない新卒の若娘がいきなり飛び込んだという感じで。最初は先輩の栄養士さんと一緒に業務をさせてもらったのですが、途中で引き継ぎをして1人体制になったんです。栄養部門に関わるすべての発信や責任が自分にのしかかってくるので、今まで感じたことのないような重圧があって……。多職種との連携が不可欠な職場でありながら、自分の経験不足からコミュニケーションがうまく取れず、周囲とすれ違いが起きてしまうようなしんどい時期もありました。
それは精神的にも非常に辛かったですね。その壁をどうやって乗り越えていったのですか?
牧野:しんどいことから逃げようとすると、余計に状況が辛くなると思ったんです。だから、逃げずにしっかりと向き合って、諦めずに関わりを持ち続ければ、絶対に分かり合えると信じて行動し続けました。そうしているうちに、最後の方には先輩方から色々とアドバイスをしてくださったり、意見を言ってくださったりする関係になれたんです。私は人に頼るのがすごく下手くそだったのですが、1人の力は本当にちっぽけなもので、皆さんの支えや協力があってこそ実現できることがたくさんあるんだと学びました。コミュニケーションを通じて正しく人を頼ることの大切さを、その経験から深く教わりました。
壁を乗り越え、仕事のペースを掴んでいく中で、ご自身のキャリアへの思いに何か変化はありましたか?
牧野:そうですね……。実は、仕事に慣れていくにつれて、自分の中で「本当にこのままでいいのかな」という違和感が大きくなっていったんです。私が学校の4年間で学んできたことも、管理栄養士として現場で従事してきた5年間も、その根底にあるのは「西洋の現代栄養学」でした。それは、すべてがカロリーや検査数値といった「数字」で管理されている世界です。私自身、栄養士の仕事はこういうものだと自分の中に落とし込んでこなしていたのですが、ずっと心の奥底に違和感がありました。患者さんみんな、それぞれ全く違う人なのに、いくつかの枠にカテゴリー化されて、「あなたはこの数値だからこの食事を出しましょう」と当てはめられてしまう。それが、どうしても「なんか違うな」と思えてしまって。
その違和感の正体は、どのようにして解消されていったのですか?
牧野:長い間、その違和感が何なのか自分でもよく分からなかったのですが、ある時、東洋医学の考え方や、それに付随する薬膳、漢方の世界を知りました。西洋医学がすでに起きてしまった病気に対してアプローチするのに対し、東洋医学は病気になる前の「未病」の状態にアプローチして、病気にならないように体をどう整えるかということを基本としています。枠に当てはめるのではなく、「その人自身を見て、その人の体質に合わせてこの食材を使いましょう」というあり方が、私にとってすごく自然で、心地よく感じられたんです。「あ、私がずっと感じていた違和感はここにあったんだ」と深く納得しました。もちろん西洋医学を否定しているわけではなくて、どちらにも良い要素があるので、両方の良いところを取り入れて自分の形を作っていきたいと思うようになりました。

そこから草津へ移住されるまでは、どのような道のりがあったのでしょうか?
牧野:実は本当に回り道のような人生なんですが(笑)。施設の後に千葉に引っ越し、農業施設に併設されているベーカリーで全く違うお仕事をさせていただきました。自然、食にまつわる様々なプロの方と一緒にお仕事をさせていただく中で、自分のちっぽけさを日々日々痛感させられながら、食物を大切に扱うこと、素材そのままを活かすこと、五味の重なり、お料理の魅せ方、喜んでもらえるお店づくり。皆さんの手仕事・想いを肌身に感じながら奮闘する千葉での日々は、本当に貴重な学びが沢山ありました。でもそこで目まぐるしい日々が続き、少し心とからだを休める期間をいただくことになりました。同時に、薬膳への興味がどんどん強くなっていて、次のステージに進みたいという想いもその頃から湧いていたんです。数ヶ月のお休み期間をいただき、これからの在り方を自分と向き合い考える中で、そのタイミングで、知り合いの方が草津で新しくペンションの事業を始められることになり、お手伝いのお話をいただいて。草津に特別な思い入れがあった訳ではなかったのですが、『ちょっとやってみようか』と、そんなきっかけでこちらへ来させていただくことになり、それが去年の7月半ばのことです。
見知らぬ町で見つけた光。夜の湯畑の衝撃と、人とのあたたかな結びつき
導かれるように草津へいらっしゃったのですね。最初に来た時の草津の印象は、どのようなものでしたか?
牧野:すごく鮮明に覚えています。私自身の地元も自然豊かなところだったのですが、草津に着いた時は、普段の買い物ができるお店があまり多くないことに少し驚きました。「みんなどこで日々の食材を買っているんだろう?」と、最初は少し戸惑いましたね。
生活環境の違いに、不安はありませんでしたか?
牧野:最初は若干の不安もありました。でも、同時に「これなら無駄遣いしなさそうだな」とも思って(笑)。いい意味で、限られた環境を受け入れることができた気がします。それに、その日の夜に初めて湯畑を見た時の衝撃が凄まじくて。お昼間の湯畑を見ないまま、夜の湯畑へ連れて行かれたので、何なのかも全く分からず「私は一体どこに連れてこられたんだろう」という感じだったんです。

夜の湯畑ですか。ひかるさんの目に、どんなふうに映ったのでしょうか?
牧野:湯気がもうもうと立ちのぼって、それがライトに照らされていて。独特の硫黄の香りがふわりと漂い、周りにはたくさんの人がいらっしゃるのに、どこか静かで壮大で。まるで別世界に迷い込んだような、本当に幻想的な光景でした。そのあとに草津の温泉に浸かってみたら、酸っぱくてしょっぱい強烈な泉質が初めての体験だったので、それもすごくびっくりして。あの日の映像と感覚は、今でも忘れられないくらい印象に残っています。
そこから1年ほど過ごされて、町や人に対する印象は変わってきましたか?
牧野:草津に来てしばらくの間は、自分から積極的に外との関わりを持とうとはせず、ペンションなどの近しい人たちの中だけで生活していました。正直にお話しすると、最初は見知らぬ環境に戸惑うことも多くて……。自分がやりたいと思っていることも、ここでは形にできないんじゃないかと諦めかけていた時期もありました。
新しい環境での生活に、悩むこともあったのですね。そこからどうやって前向きになれたのでしょうか?
牧野:本当に最近になってからなのですが、町の交流施設であるコワーキングスペースと繋がりができたり、無農薬でお野菜を育てている面白い方にお会いできたりしたんです。その方のハーブティーを飲ませていただいた時は、体が浄化されるような感覚になって本当に衝撃を受けました。そうやって関わりを持っていくうちに、草津にもこんなにパワフルで活動的で、ポジティブな思いを持って活動している方がたくさんいるんだということを初めて知りました。「あ、こうやって頑張っていらっしゃる方がいるんだな」と心動かされて、私も頑張りたいという前向きな気持ちになれたんです。
素敵な出会いが、ひかるさんの心を大きく動かしたんですね。
牧野:はい。草津で色々な活動をされている熱くて温かい思いを持った方々に触れて、そのコンセプトや姿勢がまさに私がやりたかったことだと深く共感しました。こんな素晴らしい出会いがあるんだって。私自身、ここにいる間は、こういう素敵な方たちと関わらせてもらいながら、自分がやりたいこと・やれることをちょっとずつ形にしていきたいなと、この数ヶ月で強く思えるようになりました。
どんぶり一杯に込める「一汁一菜」のやさしさ。私が届ける整え飯の形
将来、ご自身のお店などで食事を提供される際、どのようなものを出したいですか?
牧野:私が日々の食事で一番大切にしている「一汁一菜」という基本の形を表現したいと思っています。あれこれと頑張らなくても、玄米と具だくさんのお味噌汁、そして季節を感じる小さな添え物があれば、それだけで十分に心も体も満たされる食事が完成するということをお伝えしたくて。
とても素敵なコンセプトですね。今回のマルシェでは、具体的にどんなメニューをイメージされていますか?
牧野:実は、私が3年ほど前に出会ってすっかり魅了され、今では暮らしの一部になっている「長岡式酵素玄米」をどうしてもお出ししたいという思いがあるんです。ただ、保温釜の中で発酵熟成させるプロセスが季節や環境によっては難しい部分もあるので、状況に合わせ今回は、一汁一菜の要素の一つである『汁物』で、“ととのう食”を表現しようと考えました。

汁物だけでも、ひかるさんの思いがしっかりと伝わりそうですね。
牧野:例えば初夏のような時期であれば、「初夏の養生スープ」という形でお出ししたいですね。私は「初夏」という響きや雰囲気がすごく大好きで。シンプルな素材を使うのですが、夏らしい爽やかな食材も取り入れて、梅雨のじめじめと重たくなるような時期でもすっきりと食べていただけるような、からだが内側から整う滋養スープになればと思っています。
その先に描いている目標や夢はありますか?
牧野:ずっと変わらず持ち続けている大きな目標になるのですが、まずは色々な場所で自分の食事を知っていただく機会を作り、いつか自分のお店を構えたいです。そして、薬膳や発酵の力を借りて心と体を整えるような「整え飯」を提供するご飯屋さんを、どこかでオープンさせたいなと思っています。まだ具体的な形はクリアになっていない部分もあるのですが、自分の色みたいなものをしっかり作っていきたいです。
夢の実現に向けての第一歩が楽しみですね。ご自身の料理をお客さんに提供する瞬間は、どんなお気持ちになりそうですか?
牧野:自分の食事を直接提供すること自体がこれから初めての経験になっていくので、どんな方が来てくださるんだろうとか、皆さんが私のスープを飲んでどう感じてくださるんだろうとか、まだ分からないことだらけです。少しドキドキもしますが、楽しみの方がはるかに大きいですね。本当に遠回りのような人生をしてきましたが、その時その時をとにかく全力で丁寧に向き合ってきました。だからすべてが自分を納得させるための経験だったと今心から思えます。これからも導かれたご縁を一歩ずつ丁寧に、夢を形にできるよう精一杯頑張ります。

編集後記
飛騨高山の大自然を駆け回った少女時代から、遠回りの道のりを経てたどり着いた草津の地。牧野さんの歩みは、まるで季節の移ろいのように自然体で、等身大の優しさに溢れている。忙しない日々の中で一度立ち止まり、自分自身の心と丁寧に向き合ったからこそ、彼女が大切にしているのは、自然の流れに沿って季節をいただくこと。草津のあたたかな繋がりの中で生み出される彼女の「一汁一菜」は、食べる人が自分自身と静かに向き合えるような、ホッと心緩まる時間を届けてくれることだろう。