関 康寛
関 亮太朗
100年続く老舗企業の新たな挑戦!BAR開業のきっかけは子ども
今日はよろしくお願いいたします。始めに「ちょい呑み処 KBAR(以下、KBAR)」の成り立ちについて教えてください。
康寛:「KBAR」の運営元である有限会社樫山は、創業100年を超える老舗企業です。事務用品、事務機器、生活雑貨、事業用雑貨類の小売業を代々営んできていて、僕はその5代目になります。
創業100年以上とは!BAR事業は会社にとって新しいチャレンジだと思うのですが、どういう経緯でBAR事業をオープンすることになったのでしょうか?
康寛:僕は中学まで草津町で過ごし、長野県の高校に進学した後、東京で社会人を経験しました。約30年前に会社を引き継ぐために草津町にUターンすることになりました。
亮太朗:有限会社樫山は、元を辿ると某大手アパレル企業の創業者の末裔なんです。親族が樫山の一族なので屋号を樫山として設立したそうです。
康寛:僕は小さい頃から祖父母に家業を継ぐものだと言われて育ったので、高校で草津町を出た後もずっと「いつかは草津町に帰らなくてはいけない」と思い込んでいました。僕としては草津町に自分の意思で帰ってきたわけではないので、物を売る商売がなかなか成り立たなくなってきた昨今、最初は戸惑いがありました。亮太朗が帰ってくるのをきっかけに、新しいチャレンジとして元々興味のあった飲食店をオープンすることに決めました。ですので「KBAR」は元々事務用品の販売店の一部をBARに改装した場所に作りました。
その壁一面には文字や手書きのイラストが埋め尽くされていますね。
康寛:DIYで作った店舗との仕切りの壁なのですが、お店がオープンしたときに地元のみんなやお客様がメッセージを書き残してくれました。お祝いの言葉もあれば、僕らへの個人的なメッセージ、子どもが描いたイラストも描かれていますね。子どもが3人いるんですけど、息子たちの友人が面白がって書いてくれた落書きも、うれしい思い出です。
亮太朗:元々メッセージを書く目的で作った壁ではないんですけど、気づいたら賑やかになっていましたね。
人の温もりが伝わってきて、「KBAR」がたくさんの人に愛されている場所であることが壁から伝わってきます。亮太朗さんはどのタイミングで家業を手伝い始めたのでしょうか?
亮太朗:実は僕、2回大学を出ているんですよね。最初に入学した学校を中退して、その後、東京の大学に編入しました。そこも中退して社会人になるんですけど、退職するタイミングで草津町に戻ってくることに決めました。長男である兄が大阪に住んでいるので、家業を無くしたくないという気持ちもあり、父の跡を継ぐためにUターンしました。
「草津」「樫山」「競馬」3つを意味する「KBAR」
ところで、店舗名の「KBAR」とは、どういう意味なんですか?
康寛:「K」には、3つの意味があるんです。ひとつ目は自分の会社名である有限会社樫山(かしやま)の頭文字、ふたつ目は競馬好きなので「KEIBA」と「BAR」の組み合わせ。最後は草津町の頭文字です。他にもあるかもなぁ。後付けでどんどん足していってます(笑)。
たくさん意味があるんですね!確かに店内を見渡すと、所々にたくさんの競馬グッズがありますね。どんな方が来られますか?
康寛:競馬好きの方が多いです。競馬が開催される日は大画面モニターで実況を流すので、お酒を飲みながら、お客様と一緒に応援して盛り上がっています。温泉地なので観光客の多くは宿泊者。夕食を食べたらホテルに戻ってしまうので、夜遅くまで営業している飲食店は案外数えるほどしかないんです。「KBAR」は、仕事終わりの地元民や飲み足りない人たちが集まってワイワイできるように、夜21時からお店をオープンしています。
亮太朗:観光客の方も訪れますが、地元の方が中心で、20代から80代までさまざまです。他の飲食店で飲み歩いてから最後に2〜3軒目に立ち寄る感じのお店です。お客様がいなければ午前4時頃に閉めますが、盛り上がったらそのまま日の出まで営業しています。
草津の方々も「仕事終わりの一杯」を楽しむことができる場所なんですね。
康寛:大きな競馬の大会が昼間に開催される時は、昼間もお店を開けることもあります。オープン当初は昼営業もやっていたので、またこれから昼から始めようかなと検討中です。
昼営業を喜ぶ方もいそうですね!実際に取材をしている今、すでにお客様がいらしたので、昼営業もしているんだと思い込んでいました。
康寛:たまたま常連さんが、店の前を通りがかったからと言って勝手に入ってきたんです(笑)。僕らも嬉しくなってお酒を提供し始めちゃいました。こういうことは結構ありますね。
人口6,000人の町で、町民とのつながりを大事にする「地場のBAR」
関さんは、草津町でどんな地域活動をしているのでしょうか?
亮太朗:僕は現在、商工会青年部と消防団と式典保存会に所属しています。
康寛:地域に存在する大きな組織は、行政を除くと商工会、観光協会、旅館組合の3つがあり、若い人は各青年部や消防団に所属したりします。活動を通じて、横のつながりを育むことはとても重要です。地域を盛り上げようとするチームワークが生まれますし、火災など地域で問題が起きた時に連携しやすくなるからです。
地元の人々が様々な町内会や組合に所属することで、伝統や文化を守ると同時に地域のつながりを大切にしていることが分かりますね。
康寛:今だから言えますが、草津町に帰ってきたばかりの頃は、地域活動に対してポジティブではなかったんですよ。でも、続けていくと楽しくなってきました。地域の人たちとつながって広がっていくのが面白くて、草津の未来を守るための活動をしているなと実感し始めたんです。年代や立場が異なる人と知り合えるし、自分たちの仕事も生まれてきますしね。あと、活動の後に、みんなで集まって飲むお酒の場も盛り上がりますから。
康寛さんはどのような活動をされていたんですか?
康寛:ちょっと前には草津温泉ロータリークラブの会長を経験させてもらい、今は商工会や法人会、信用組合等の理事や、式典保存会に所属させていただいています。式典保存会では約80年の歴史がある、温泉への感謝を表す伝統行事「草津温泉感謝祭」の式典を行っています。地元に住む若い女性に女神役を務め7月から1カ月ほどかけて準備を行い、現在は8月1日・2日の2日間で開催。僕はかれこれ30年ほど、このイベントの実行委員として関わっています。
30年も!
康寛:式典保存会は毎年20人ほどの子どもたちが関わってくれるので、活動歴30年だと累積で約600人の教え子がいることになります。改めて数字にすると驚きますね。その中には成人した子がお店にお客として飲みに来てくれたり、結婚して自分の子どもを連れて一緒に顔出しに来てくれることもあります。式典保存会に所属した頃はこういう未来を考えもしませんでしたが、少しずつ形を変えて過去の草津と未来へつながっている。こんなに嬉しいことはないですね。
「KBAR」は本当に多世代の人が交わる場所なんですね。康寛さんが普段大切にしていることってなんですか?
康寛:家族です。僕にとって、家族が一番の宝物。家族がいるから頑張れるし、日々を楽しく過ごすことができるので本当に感謝しています。特に縁の下の力持ちであるママの存在は、KBARにとって不可欠です。亮太朗だけではなく全ての子どもたちに言えますが、家族であり歳の離れた友達みたいな感じですね。
亮太朗:僕や兄妹の友人とも仲が良く、父も一緒になって飲んだりしますね。お店に友人が来ることも多く、分け隔てなくコミュニケーションを取ってくれます。
「またこの場所に帰ってきたい」そう思える場所になれたら
お二人からみて、草津町はどんな町ですか?
亮太朗:僕は、あたたかい人が集まる町だなと思います。年齢や立場を問わず、さまざまな方が飲み会やゴルフに声をかけてくれますね。一方で、若者の町外流出が課題となっています。僕らもそうでしたが、高校進学や就職を機に町を離れる若者が多い町なので、今後どのように人材を確保して地域を盛り上げていくかが課題になりますね。
時代とともに変化していく必要がありそうですね。康寛さんはどうでしょうか?
康寛:今は変わってきてますが、僕の時代は閉鎖的で小さい町でした。小中学校が町内にひとつしかないので、祖父母の世代からみんな顔見知り。東京から草津町に戻ってきた時、自分からは何も話していないのに、地域の人は僕が帰ってきたことを知っていました。東京では隣に住んでいる人も知らないような関係性が普通なので、距離感のギャップに戸惑い、受け入れるのに時間がかかりました。一方で、周りに存在を知られてるおかげで、仕事先の方とも話が進みやすかったので、今となっては良かったのかなと思っています。
草津町を離れたからこそ、地域の特徴に気付くこともありますよね。今、康寛さんの代からBARという新事業を始めたわけですが、その点変化はありましたか?
康寛:まさに、樫山の既存事業をしていた時だと知り合えないような方とも出会うことができるようになりました。夜の仕事を始めて、これまでと違う人付き合いの広がりを感じています。草津は人気の観光地でもあり、発展し続けている町でもあるので、さまざまな業種の人とつながる機会が増えました。草津町人に留まらず、この先にいかに面白い人たちと出会えるかを考えると楽しみですね。
人が集まってくるのは、「KBAR」のような場を持つ特権ですよね。
康寛:そうですね。みなさんと出会える確率は、ある意味、競馬で的中するよりもすごいことなんですよ!
予期せぬ出会いや再会も生まれそうですね。
康寛:ボトルを入れてもらうとき、忘れずに来てくれた日付をボトルに書いておくんですが、先日一年越しにボトルを入れた方が再来してくれて、とてもうれしかったですね。草津で出会い、また草津で再会できるというのは、この店をやっていてよかったと思う瞬間です。あと、子どもたちが新しいお客様を紹介してくれることもあります。この間は高校生の娘がバイト先で声をかけた人を連れてきてくれました(笑)。嗅覚で「パパ(「KBAR」)に合いそう」と思ったようです。
亮太朗:出先で話していて、感覚的に合いそうだなと思った人にはショップカードを渡したり、お店に誘ったりしますね。
これから「KBAR」をどんなお店にしていきたいですか?
亮太朗:地元の人が多く集まるお店なんですけど、たまに草津温泉へ観光で来ていた方が偶然「KBAR」に辿り着くことがあるんです。そういったお客様が、再び草津を訪れた時に「また『KBAR』に足を運んでみようかな」と思ってもらえるお店でありたいです。
そのためには、一日一日をきちんと積み重ねていくことが大事です。「行きたい」と思ってくれた時にお店が無くなっているようじゃダメですから。これからも、頑張ってお店を開き続けていこうと思います。