吉田 健次さん
吉田 峻さん
料理人として成長した息子がUターン!親子共々で営むお店
今日はよろしくお願いいたします。まずは創業者である、健次さんの経歴から教えてください。
健次:僕の人生を語る上で、子どもの頃からずっと習っていたクロスカントリースキーは外せません。高校卒業後に陸上自衛隊のスキーチームに入団し、ライフル銃を背負ってクロスカントリーをする「バイアスロン」というオリンピック競技をやっていました。本当は大学進学してスキーをしたかったんですけど、両親に反対されたので1983年に群馬県で開催される「あかぎ国体」を目指すため自衛隊のチームに所属することにしました。自衛隊を退職した後は飲食店やバイクショップでアルバイトをしたり、その後大手工業メーカーに就職して働いていました。転職してホテルの人材派遣会社に勤めている頃に息子の峻が生まれました。
峻さんは東京生まれなんですね。東京から草津にUターンすることになったきっかけは?
健次:人材派遣会社の仕事で、草津のホテル「大東舘」へ訪れた際、当時の専務に「うちで働かないか?」と声をかけてもらったんです。生まれ育った町でしたし、タイミングも重なって草津にUターンすることにしました。ですので、戻って来た当初はホテルの営業職として働いていました。
就職していたところから、どのように飲食店開業へと進んでいくのでしょうか。
健次:元々自分で何か独立して仕事をしたいなとは思っていたんです。そんな折に、2つ下の後輩が経営していた寿司店を閉めるという話を耳にして、ここの場所を譲ってもらうことになりました。34歳の頃なので、もう30年近く前になりますね。ちなみに「いざかや水穂」は、2025年で30周年を迎えます。
おめでとうございます!30年間ってすごいですね。開業から今までの約30年の営業を通じて、健次さんは草津温泉の変化の歴史も見てこられたんですね。
健次:そうですね。約30年前の草津温泉は今みたいな湯畑や足湯という観光スポットもなかったので、今とは違って高齢の方が多く集まる観光地でした。開業当時、草津温泉にある居酒屋は2,3軒しかなかったので、今となっては古参の店だと思います。昔は素泊まりというシステムは存在しておらず、ホテルや旅館の宿泊プランは1泊2食付きで食事が出て来るスタイルが一般的でした。後輩が寿司店を経営していた頃はバブル期で、宿泊先で行う二次会用にお寿司を注文する方が多かったそうです。ですので、店に来る観光客は旅館で食事を楽しんだ人や、二次会終わりの人がちょこっと飲みに来る感じで、開業してから2年間くらいは全然お客様が来なくて大変でした。最近でこそリゾートマンションに滞在するお得意様がたくさんおりますが、その当時はそういったお客様も少なかったです。
泊食分離が進み、観光客が温泉街に繰り出して食事をする流れに変わっていったのですね。その後、息子の峻さんがお店を手伝うことになった経緯を教えてください。
峻:両親がお店で働いていて家にいないことが多かったので、小さい時から自分で食事の準備をしていたこともあり料理すること自体は身近な存在でした。父がクロスカントリースキーの選手だったので僕も習っていたんですけど、プロの道は甘くないなと考えて料理の道に進むことに決めました。中学校卒業と同時に上京し当時、東京の広尾にあった人気イタリアン「オステリア ルッカ」の扉を叩きました。有名なシェフと出会う機会も多く、刺激のある場所に身を置かせてもらったと思います。
草津町にはいつ頃帰ってきたのですか?
峻:7年半くらい勤めた頃、店舗が移転することになったので、そのタイミングで転職を考え始めました。元々自分のお店を持ちたいとも考えていたので、草津町でするのもいいかなと思ったことと、店を切り盛りする両親の体力面が気がかりだったこともありますね。
健次:峻が帰って来てくれると聞いた時は、素直に嬉しかったですよ!
峻:2012年に戻って来たので、今ではもう草津の方が長くなりましたね。
きらびやかな世界に憧れた父。夢を叶えるため上京した息子
二人とも草津町を出て、大人になってからUターンされていますよね。
健次:子どもの頃は「ここは温泉しか湧き出ない田舎だなぁ」と思っていたので、僕はどちらかというと東京のきらびやかな世界に憧れて、都会に出たタイプです。
峻:僕は父とは逆のタイプでした。草津の暮らしが好きではないから出たわけではなく、やりたいことを叶えるために上京しました。
健次:でも実際に都会で生活してみたら、人が多すぎるし、当たり前ですが草津町と比べて自然が少なくて戸惑いました。あとなんと言ってもお風呂!この町に住んでいると、いつでも自由に無料で温泉に入ることが出来るでしょう。これだけ優れた泉質の温泉を知っていると、東京のオンボロアパートのお風呂だと満足できなくなってしまって……。近所にあった銭湯にも行くんですけど、お金を払って入る違和感を拭えませんでした。
地域の外に出たからこそ草津町の素晴らしさに気付けたんですね。
健次:東京に住んでいた頃を思い出すと、もちろん寒暖の差はありましたが、季節の移り変わりを感じる機会が少なかったです。草津では春は桜、夏は蝉の声、そして山の色が新緑から紅葉へと変わり、雪が降るという四季の移ろいを肌身で感じていました。東京に出たおかげで、季節を五感で体験できる草津の自然のありがたみに本当に感謝するようになりましたね。
峻:僕も草津の持つ自然の素晴らしさには同感です。町内を歩けば聞こえる鳥の鳴き声に癒やされていますね。
健次:草津にとっては温泉の存在を忘れてはいけません。他の温泉地では湯を運び、わざわざ温めなおして浴槽に入れる場所もあるようですが、草津温泉のお湯は高温なので、湯畑に流して湯温を調整しないと熱くて入れないという恵まれた環境なんです。さらにはそんなお湯が毎分30,000リットル以上も湧き出るなんて、日本だけでなく、世界でも相当珍しいことです。こんな豊かな環境はそうそうないですよね。県外の観光客やリゾートマンションの人たちが時間とお金をかけて訪れるところに、住民の僕たちは無料で入浴できるなんて本当に恵まれた環境に住んでいると改めて思うようになりました。
改めて草津町の地域資源の豊かさには驚かされますね。峻さんは草津町に戻ってきたときに何かギャップを感じることはありましたか?
峻:そうですね……。僕はずっとイタリア料理店で働いていたので、はじめは居酒屋へのもどかしさを感じていました。東京にいるときはプロフェッショナルな人たちに囲まれる機会が多かったので、居酒屋の経営を軽く見てしまっていることがありました。ですので実際お店を手伝い始めたときには、現場で母親と言い争う場面も多くありました。
プロの料理人として働かれていたプライドもあるでしょうし、東京と地方ではお店づくりや料理への向き合い方に違いがあるのかもしれませんね。
峻:そのとき勉強になったのは、新参者は新参者らしくあることの大切さです。当時は自分の意見を思ったままド直球に話していたので、今一度自分のポジションを考えて立ち振る舞うべきだったと反省しました。自己中心的な態度や発言を発信することで、相手が自分の意図とは異なる受け止め方をしてしまい、本来は伝わるような話でも伝わらなくなってしまうと気付いたんです。
健次さんとお店の経営で言い争うことはありましたか?
健次:いえ、それはないですね。僕と息子は持ち場が違うので言い争うことがないんです。峻は職人ですから、僕が口出しすることではないかなって。
峻:お店のメニューは基本的に昔のまま残すようにし、使う食材や調理方法をアレンジすることで既存メニューをアップデートする形をとっています。常連の方の気持ちを考えると、ある日お目当てのメニューが突然なくなったら、きっと悲しまれると思うんです。メニューの総入れ替えはやろうと思えばできますが、それだとこれまでの「いざかや水穂」とは全く違うお店になってしまうので、僕がこのお店にいる間は今まで愛されてきたメニューをベースに「前よりももっと好きになった」と思ってもらえるようなアプローチを自分なりに考えています。
お客視点で考えると、母親から息子へと厨房がバトンタッチしても変わらない味を楽しめるのは嬉しいですね。
峻:お客様に喜んでいただくことが最優先なので、そこに無理やり自分の我が入ったところで意味がないと思うんです。僕はお金をもらうためだけではなくて、自分たちが納得いく仕事をしたいと考えています。仮に自分が納得いかないものを出してお金をもらっても全然嬉しくないじゃないですか。自分が一番納得したものを出せること、そしてその先の誰かに喜んでもらえることを感じられるのが、職人の幸せなんだと思います。だから、目的を達成する以外の細かいところは、正直あんまり気にしていません。
健次:食事に関しては息子に一任しているのですが、僕はお酒が好きなのでアルコール担当をしています。最近のブームはウイスキー。何年か前からウイスキーの種類を揃えてるんですけど、「草津でもこんな美味しいお酒が飲めるの」「なんでここにあのブランドがあるの」とビックリされると嬉しいですね。
若い時にバーで働いていた経験が活きていますね。健次さんこだわりのウイスキーのラインナップが気になります!
健次:最近、北軽井沢にウイスキーの蒸留場が出来たので、先日常連さんと一緒に行って、樽買いに挑戦しました。その樽は今、八ツ場ダムで寝かせて熟成中なので、3年後に開ける予定です。どんな味に仕上がるのか、今からみなさんと開けるのが楽しみです。
年に1回でもいいから通ってもらえるような店を目指したら、自然と常連が増えていった
経営をする上で大事にしていることはありますか?
健次:今はそんなことないんですけど、僕が子どもの頃は県外から来た人が草津で商売するのを受け入れない風潮が多少なりともありました。ですが、結局それは何も生み出すことができませんし、誰にとってもメリットがないんですよね。僕は草津の人だからといって力を誇示するのはまったく違うし、新しい人たちが入るおかげで町全体が活性化すると考えています。なぜなら僕たちは基本的に観光客に向けた商売で潤っている地域だから。なのに県外の人をお客としては受け入れるけど、そういう時だけ余所者扱いなんて矛盾した話じゃないですか。
地域の人たちとつながり、共存していく姿勢は大事ですよね。一方で観光地の商売だからこその難しさもありますね。
健次:その通りです。飲食店が増えた先に何が起きるかというとお客様の分散です。大抵の人は客が取られると思って同業者が増えることを嫌がりますが、僕は全然そう思わない。狭い町だから横の繋がりがあるし、取り合ってもしょうがないと思って。自分のところだけでお客様を囲い込むのではなく、みんなで草津温泉を盛り上げていきましょうという気持ちで向き合っています。だから、僕はどんどんお客様にいろいろなお店を紹介するようにしています。
自分だけ良ければいいという考えではなく、みんなが一体となって取り組むことで、経済も関係性も循環すれば、草津全体の魅力が高まり、結局自分のところにもご縁が巡り回って来るはずです。ですので、年に1回でもいいから来たいと思って足を運んでもらえるようなお店を目指し続けています。
その考えが観光客の常連化につながっていくんですね。
健次:バブル期以降、景気もだんだん戻ってきたタイミングから、リゾートマンションに滞在する人が増えました。その影響もあり、今では年に何度も足を運んでくれるお客様が増え、おかげさまでリピート率が上がっています。
息子が加わってメニューがアップデートしたことも、多くの人に受け入れられるようになった要因かもしれません。店に来てくれる方は、今日初めて来た方から数十年通い続けている方までさまざまですが、どの方にとっても「このお店に来てよかった」と思ってもらえるような、料理、接客、雰囲気作りを大切にしています。その結果、ボトルキープも200本くらいに増えました。いつ来てもお酒を楽しんでもらえるよう、キープしていきますよ。
すごい!数十年も通ってたら、ただのお客様ではなくて長年の友人のような関係性になりそうですね。
健次:一番長い方だと、オープンから数カ月経った頃から通ってくださっている方ですね。20年選手は結構いますよ。「もうそんなに経っちゃいましたか」と笑い話をしています。
親子二代というケースもありますし、年1ペースで草津温泉に来ていたカップルが結婚するというので祝電を送ったこともありますね。しばらく来ないなと思っていたら子どもが生まれていて、大きくなったタイミングで戻ってきて、わざわざ店まで来て報告してくれたこともありました。
素敵な関係性ですね!みんな、「いざかや水穂」のファンになっちゃうんですね。
健次:営業で鍛え続けた僕のセールストークかな……というのは、冗談です。実はお店作りは、僕たち経営側の力だけでなく、訪れるお客様と一緒に作っているなと実感する場面が増えました。カウンターごしに常連同士が仲良くお酒を呑んでいる姿や、初めましての方同士が話し込んでいる様子などを見ていると、「いざかや水穂」は自分たちだけのものじゃないと思うようになりましたね。
常連同士で仲良くなったら、1人でも通うのが楽しくなりそうですね。健次さんがお客様を紹介したりするんですか?
健次:頻繁にありますね。ただ、むやみに紹介はしないです。相性が合わない人同士も見てすぐ分かるので、そこは気を配っています。皆さんプライベートで来てるので、中には自分の時間を楽しみたい方もいますよね。そこはきちんと見極めて、それぞれの方が心地よく「いざかや水穂」での時間を過ごしていただけるように心がけています。
人の定着が地域の未来を変える一手
今後、草津町がどんな地域になっていってほしいですか?
健次:いま草津町は少子化が深刻です。小学校も中学校も1クラスまで減りました。僕も息子も冬になると小学校の授業でスキーを教えるのですが、年々子どもの数が減少していく様を目の当たりにしています。何年かしたら、小中一貫にならざるを得ないだろうなと思うと、少し寂しくなりますね。町に子どもが少しでも増えてほしいし、彼らが大人になって帰ってきた時に、草津町を盛り上げてもらいたいです。
峻:草津町に戻ってくる人は、仕事や家庭の都合でやむを得ず帰ってくるケースが多いように思います。ですが地元が好きな人もいます。最近は観光協会の動きも積極的なので、そういったイキイキとした地域の大人を見て、子どもたちも「将来このままこの町に残って働くのって楽しそう」と思ってくれたら嬉しいですね。
健次:おかげさまで観光客は増えている一方で、労働人口はもっと必要だと感じています。リゾートバイトや出稼ぎで来る人で成り立っている部分もありますが、そのまま定住してもらえたら町も少しずつ変わっていくような気がします。
峻:僕らも一緒に働ける人を探しています。人材が安定すれば別店舗を経営できたり、365日営業にするなど可能性は無限に広がりますから。うちだけではなく、草津町全体で慢性的に人手不足は深刻な課題になっています。人口6,000人強(※1)の町に、年間370万人(※2)ほどの観光客が訪れる状態なので、どこも人手不足に困っている印象です。
ただ何かひとつを解決すればいいという単純なものではありません。まずは居住場所。次に働きたいと思える条件やお給料かどうか。一般的にサービス業って給料が低いとされているので、そもそも売り上げを上げるためには単価を上げる必要がある。でもそれだとお客様の負担になってしまう……など、課題は山のようにあります。
健次:環境作りは大事ですね。「いざかや水穂」の常連さんで、草津が好きでしょっちゅう来ていた方が、今住民になって自分の店舗を経営している人もいます。そういうモデルケースを一件でも多く増やしていきたいですね。
※1 2024年11月現在
※2 2023年度